@ 緑柏水波文壇の美術考古学的研究一一白鳳■奈良時代における浄土のー表現一一研究者:大阪大学大学院文学研究科助教授高橋照彦1 はじめに美術史学と考古学は,日本では異なる研究領域として区分されがちである。しかしながら,美術史学と考古学の総合的視野を設定することにより新たに切り開かれる地平は狭くないはずである。ことに伝世品が少ない時代や地域を対象とするならば,そうであろう。筆者の専門は考古学の立場にあるが,上記のような認識に基づき,美術史学や文献史学のこれまでの成果を不十分ながら吸収しつつ,既存の学問的枠組みを越える取り組みを行うことにしたい。本研究では,白鳳期から奈良時代にかけて用いられた緑軸水波文埠を主な検討対象とした。埠とは,平たい形状の瓦の一種で,現在で言えばレンガあるいはタイルなどに相当する。緑粕水波文埠は,その名称の通り,水面の渦や波のような文様が刻まれており,そこに緑色の上薬(緑柚)が施された埠である。この緑紬水波文噂の研究史(注1)を振り返ると,考古学の立場では専論と呼ぶほどの検討を加えたものは乏しい。一方,美術史的にも取り上げられたことがほとんどなく,既存の彫刻・絵画・工芸といった美術史の主分野からは漏れ落ちる対象と言えるだろう。以下では,この緑紬水波文埠がいかに使われて,どのような意味を持っていたのか,そしてその変遷過程のなかから何が読み取れうるのか,といった諸問題に取り組み,美術史などの分野への新たな研究材料の提供と問題の提起を目指したい。2 緑紬水波文埠の基礎的検討緑紬水波文埠は,現在までのところ,(1)川原寺ならびに川原寺裏山遺跡付近,(2)興福寺中金堂前庭および東金堂付近,(3)東大寺上院地区付近,(4)平城京左京一条三坊十五坪・十六坪周辺,(5)法華寺阿弥陀浄土院,などから出土している。この他に,緑紬埠には無文のものも存在するが,紙数の関係もあるので,本稿では特に触れない。緑紬水波文埠そのものの主な特徴を簡潔にまとめると,以下のようになろう。第lには,裏面に数字で「口条口」のような位置を示す記載がなされており,基本的には
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