注(1 ) 主な論文等は以下の通り。八賀晋「彩紬瓦埠についてJr日本の三彩と緑柚J五島美術館,1974年。森郁夫「奈良時代の施紬瓦t専Jr考古学ジャーナルjNoJ96, 1981 年。森郁夫「緑紬の瓦Jr東大寺の瓦工』臨川書庖1994年。平松良雄「彩粕瓦埠小考新出土例を中心に一Jr橿原考古学研究所論集』第13,1998年。薗田香融「川原寺裏山遺跡出土埠仏をめぐる二,三の問題Jr網干善教先生古稀記念考古学論集』下巻,1998年。吉川真司「東大寺の古層一東大寺丸山西遺跡考-J r南都仏教』第78競,2000年。高橋照彦「緑色の敷瓦Jr朝日新聞』奈良版,2000年4月27日・5月11日.5月18日。柚の文様埠の断片が報告されている程度である。唐の緑粕埠は文様を持つ点で日本との類似性も見いだせるが,日本の初期の緑柚埠が寺院で使用されている点では朝鮮半島に近似し,その使用頻度を加味すると,日本の緑柚t専の直接的製作契機としては朝鮮半島を想定する方が理解しやすいようである。ただし,水波文自体は,現資料からするかぎり,伝橘夫人念持仏の台盤にみえるような蓮池や,浄土変相図にみられる宝池の水波文をもとに,日本において独自に造形した結果と推測すべきであろう。以上,推測にわたる部分も多かったが,緑粕水波文I専を主な対象に,浄土美術の流れに位置付けつつ検討を試みた。なお,紙数の関係もあるため,より詳しい検討や細かな文献注などは別の機会に改めて行いたいので,御了承願いたい。(2) 興福寺『興福寺防災施設工事・発掘調査報告書j1978年。興福寺『興福寺田宝館特別陳列一発掘調査速報展-j 2000年。奈良国立文化財研究所『平城宮発掘調査報告jVI, 1975年。(3) 竹居明男「東大寺の阿弥陀堂同寺蔵『阿弥陀悔過料資財帳』の一考察J r日本古代仏教の文化史J吉川弘文館,1998年。(4) 光森正士「阿弥陀仏の造像についてJr仏教美術論考j法蔵館,1998年。(5)奈良国立文化財研究所「法華寺阿弥陀浄土院の調査第312次Jr奈良国立文化財研究所年報j2000 -I1I, 2000年。(6) 井上光貞「律令時代における浄土教Jr日本浄土教成立史の研究J山川出版社,1956年。-620-
元のページ ../index.html#629