鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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年前から11000年前の遺跡が発見されている。この6000年にもわたる文化の中で,石器のタイプ,美術様式の変遷もあり,地域差にもその文化の豊かさが見てとれる。同時代には洞窟壁画の遺跡が最も多く発見されている。ただし,いくつかの例外を除いて旧石器時代の他文化同様,フランス・スペインに限られている(注9)。フランスでは南西部を中心にドルドーニュロットアルデツシュアリエージュ県に洞窟壁画の遺跡が集中している。一方,スペインでは北部の海岸沿いにサンタンデール,アストュリアス地方を中心に遺跡、が発見されている。ところで,フランスとスペインはピレネー山脈を隔てて,氷河期は特に海岸沿いのみ,交通が可能であった。大西洋寄りのフランスとスペインの国境一帯をバスク地方と呼んている。フランス側にはイステュリッツやオクソセルハヤ洞窟などにまたスペイン側ではエカインやアルトゥチュリ洞窟などで壁画が残されている。これらの洞窟はフランスとスペインの橋渡し役として,地理的に重要な位置にある。アルトゥチュリ洞窟の壁画配置テーマ分析と時間的分析本論で取り上げるアルトゥチュリ洞窟はアヤ町のパオパテガーニャ山の東斜面に位置している。洞窟の内部は広く足下は崩れた岩屑で極めて危険で、ある。壁画は入口近辺には見当たらず\入口から50m先の側廊に描かれている〔図1J。その側廊は地勢と壁画の配置によって7つのグループに分けることができる。そこには93もの動物像が描かれている。刻画が多く,黒い輪郭線の画像も少なくない。黒い輪郭に刻線が重なっている画像もある。大きさは85cmから8cmくらいの小さいものがあるが,普通は40cm前後のものが多い。動物像は,ピゾン54頭,ヤギ科の動物8頭,トナカイ6頭,ウマ4頭,魚、4匹,ウシ科の動物3頭,人間像2体,シカ1頭,雌ジカ1頭,キツネが1匹,特定不可能な動物像9頭が挙げられる(注10)。このように,ピゾンの圧倒的な数がこの洞窟の第一の特徴と言えよう。これらの画像がマドレーヌ文化に帰される理由はまず氷河期の後その地方では見られなくなってしまったトナカイが描かれていることである。また,ルロワ=グーランの様式やテーマを比較したところ,トナカイが頻繁に表されるのはサンタンデール地方のラス・モネダス洞窟とともにマドレーヌ文化後期であった。さらに,彼にとって,フランコ=カンタブリア地方で,ピゾンとウマが対で登場し,トナカイが追随す-634-

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