⑤ 金剛寺蔵「野辺雀蒔絵手箱Jの場景意匠に関する考察成13年1月)。この鞘には,群雀が宿る竹を背景に猫が雀を捕らえて喰らう場景意匠が研究者:文化庁文化財部伝統文化課文部科学技官猪熊兼樹はじめに日本美術史上の絵画や工芸意匠には,日常身近な草花鳥獣を主題とする美術類型が存在する。この美術史的現象の発端の時期については,伝世品を検討することによって,平安後期の11世紀から12世紀頃に遡ると考えられる。従来,このような美術類型の発生理由については,いわゆる王朝貴族の自然愛好という趣味上の問題のように説かれることがある。すなわち,奈良時代から平安前期にかけて中国・唐代美術の影響下に美術様式を育んだ王朝貴族であったが,寛平6年(894)の遣唐使廃止を経て,自分達に身近な自然美を自覚することで日本独自の和様という美術様式を形成したという文脈である。花鳥美術について言えば,孔雀,鶴鵡,宝相華などといった異国風の題材から雀,鶴,梅,松などといった身近な題材への移行現象が認められるが,はたして上記の文脈は首肯されるであろうか。先頃,私は春日大社所蔵の12世紀に比定される「沃懸地螺銅毛抜形太万Jを取り上げて,その鞘の意匠が伝来宋画に取材していることを論証した(r春日大社蔵「沃懸地螺錨毛抜形太刀」の鞘上意匠に関する考察J美術史学会西支部例会於関西大学平螺鋼によって表されている。従来,この場景意匠については身近な猫の生態に取材した和様意匠であると説かれてきた。しかしながら,北宋・徽宗皇帝所蔵の絵画目録『宣和画譜』を検討すると,宋画において「捕雀猫図」という画題が成立していた形跡がありJ沃懸地螺銅毛抜形太万」の場景意匠は「捕雀猫図jに取材したと考えたのである。要するに,平安後期の工芸意匠には伝来宋画に取材した作例が存在することを指摘したのであった。はたして平安後期頃になると,身近な草花鳥獣などに取材した絵画や工芸意匠が散見されるようになる美術史的現象については,日本美術の独自的な展開のみによって理解される性質のものではなく,中国を中心とする東アジア美術史のなかで連動的に理解される現象であると考えている。実はすでに,このような主張は一部では唱えられており,最近の学会の傾向では目新しい主張でないことは承知している。従って,今更このような主張を繰り返すのは,あるいは単なる議論好きの蒸し返しと捉えられるかもしれない。とは言え,これまでの主張には示唆的な域に留ま56
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