鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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ジェンダーを共生という点からどうとらえるかに関心があったようだ。これに関しては,異種混交という世界の様態を是として捉え,社会的な機能として上下の差がつくられることがないように考えていくことがパネリスト側から出た意見であった。また,こういった理想論に対して,アートは現実との橋渡しになる役割があるという指摘も出た。最後に,オブリストがヒエラルキーやそれを構造的に産出する制度が同一性や秩序を脅かす両義的で暖昧なものを排除することで成り立っているという面をジュリア・クリステヴァが著書「恐怖の権力」で指摘していることに触れたことが,セッシヨン全体を引き締めたものにしていた。セッション2「集合意識j参加アーテイストであるリクリット・テイラヴァニヤ(アメリカ及びドイツ在住)はアメリカで起きたテロ事件後に受け取ったあるEメールを冒頭に読み上げた。それは,超国家権力と宗教原理主義との聞に生じた摩擦が,現実のものとはかけ離れた事態としか把握できないでいる私たちの感覚に対して,事件と同時代に生きる人間ひとりひとりとのつながりを丁寧に,しかし論理的に語ったものだった。テロ事件の背景を抽象化して説明するのではなく,個人的なモノローグによる語りに会場中が聞き入った。グローパリズムを加速させたマスメディアや資本主義が,今回のテロ犯が標的にしたアメリカの繁栄を支えたことは疑いなく,それらが同時に人々の現実を感じとる力を身体的な範囲から遠ざけているという二重性を貫くのは,こういった個人の心の内の表明に共鳴し合うことである。ティラヴァニヤは,その実践を端的に示して見せたといえるだろう。またマンレイ・シュウ(フリーランスキュレーター,台湾在住)はパブリックとプライベートの境界線について話をした。この境界線が明確な輪郭をもちえたのは,おそらく国家と国民という歴史認識を規定する枠組みが疑問に付されることがなかった時代から大きく隔たる情報化と移動が増加した時代に入り,固定的な公共圏を定めがたくなった現状を受けての発言である。これは当然,美学のみならず政治にまで言及する射程域の広いテーマなので,問題点の整理にしかならないものではあったが,わたしたちが如何にして共通の「場Jを持ちうるのか,という考えを持ち出すことで,今ますます盛んに行われている多種多様なアートフェスティパルを考え直すきっかけを与えたのではないだろうか。654

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