鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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る(内田篤呉「画像処理による蒔絵粉の研究Jr手箱J醍々堂平成11年)。この平塵粉を重視して本作品の制作を13世紀に下げる見解もある。以上に見たように,1野辺雀蒔絵手箱Jには12世紀とも13世紀とも解釈される要素があって,その制作時期の設定には微妙なものがあり,俗にいう藤末鎌初期の作品である。現状では明確な時期を示し難いが,私自身は,蓋裏の折枝梅花文様が12世紀の遺例に類似することと,当麻蔓茶羅厨子扉と類似する蒔絵粉というのも平塵粉に限られる状態を勘案して,12世紀末期頃の制作のように考えている。12世紀末期と言えば,金剛寺にとっては後白河法皇やその妹・八僚院H章子による発展のあった時期である。そのような事情を考慮して,吉野富雄氏は八傑院が本作品の制作に関与するのではないかという説を述べている。以下,本研究の主題である「野辺雀蒔絵手箱」の雀と雑草穀類の場景意匠について考察を進めていく。場景意匠の考察「野辺雀蒔絵手箱」の蓋表および蓋と身の各側面の表面には,雀の群れが雑草穀類の生い茂る土坂で様々の姿態を繰り広げる場景意匠が描かれている。雀は飛期したり,空を見上げたり,地面を啄ばんだり,鳴き交わしたり,親雀が子雀に餌を与えるといった日常的な生態が描かれている。土坂に生えている雑草穀類については車前草,蚊帳吊草,粟,狗尾草など身近なものが丁寧に描かれている。この場景は蓋表では横長の画面の左上と右下に段差をつけて表されており,蓋と身を合わせた状態での箱の各側面に表されている。各側面の意匠については,身の下方に描かれている土壌を観察すると,長側面から短側面にかけて土披をつないで描く箇所が確認できるので連続性のあることが分かる。これら蓋表と箱側面の各場景の雀を観察すると,その斑紋,羽根,足などの表現は同一であると理解されるものであり,土坂に生えている雑草穀類についても,各場景に車前草をはじめその他のものも相互に認められる。また,これらの雀や雑草穀類の描写技法に目を向けると,雀を描くには輪郭線などの実線を用いない書き割りを基調とし,羽根や腹部などに蒔き量しを行っているが,一方で雑草穀類には輪郭線など実線を用いて,輪郭内に内蒔きを行うという描写技法の使い分けに全場景を通じた一貫性が認められる。以上のことから,各場景は切り離して理解されるものではなく,全ての場景には連続性と統一性のあることが理解される。-59-

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