て成立していたことが判明した。すなわち,I野辺雀蒔絵手箱」に見られる親子雀の図様は任意の自然観察に基づくものではなく,人為的に作り出された定型であること,そして,その定型の成立は中国絵画に求められ,とりわけ黄筆にアトリピュートされる宋画の定型であることが確認されるのである。中国において鳥獣図様を親子で表すのは,アスターナの唐代墳墓に六曲扉風体裁の花鳥壁画のなかに雛を引き連れた鳥の図様が存在するように,初期花鳥画以来のひとつの類型である。『宣和画譜Jに記述される子母国・引雛図といった鳥獣画の画題はその系譜に連なるように理解される。同書には,黄益の画題として「引雛雀図JI鶏鵠引雛雀竹図」などを掲げており,ここに言う引雛雀が例の親子雀の定型に比定されるのではなかろうか。それはともかく,この親子雀の定型が確認されることによって先に「野辺雀蒔絵手箱」の場景意匠における宋画的要素として列挙した,一方の雀が振り向く鳴き交わし図様,葉脈や虫食いまで綴密に描かれる雑草穀類,没骨・鈎勅技法といった描写技法などについては,いずれも伝来米画を学習した結果として論理的に理解されるのである。その学習というのも,日本の絵師などの図案家が宋画風に図案を作成したとするよりも,伝来宋画にほとんど手を加えずに意匠として採用したように考える。なお,箱の葦表と各側面の場景意匠が横方向に連続統一的に捉えられることから,おそらく,この場景意匠の原本となった宋画は伝越昌「写生映蝶図J(北京故宮博物院蔵)のような画巻形式ではなかったかと推察する。結論以上,金剛寺蔵「野辺雀蒔絵手箱」の場景意匠を取り上げて,これが春日大社蔵「沃懸地螺銅毛抜形太万jと同様に伝来宋画を学習した形跡が明確に指摘できる作品であることを論じた。最後に,I野辺雀蒔絵手箱」の場景意匠が日本美術史のなかでどのような意義をもつものであるかについて,愚考を述べることで本研究を締めくくりたい。「野辺雀蒔絵手箱jの場景意匠のなかで,とりわけ注意されるのは,宋画の定型である親子雀の図様が確認されることである。すでに論じたように,この親子雀の定型には黄茎の名前がつきまとう。これによって,I野辺雀蒔絵手箱」の場景意匠の原本となった伝来宋画が黄筆の描いたものだと主張はしないが,それでも日本の花鳥意匠のなかに,この宋代花鳥画の巨匠にアトリビ、ユートされる定型を見出すことは興味深い。かつて私の考察した春日大社蔵「沃懸地螺銅毛抜形太万」の鞘に施されている「捕雀63
元のページ ../index.html#72