⑥ マフディアのエロースとヘルメ柱一一古代ブロンズの制作技術一一研究者:羽田康一1972年8月,南イタリアのリアーチェ沖で二体の大型ブロンズ彫刻が発見された。この〔リアーチェABJに関する修復研究調査結果が刊行されたのは1984年のことであ究が徹底的になされた研究史上最初の事例となった。一方1907年6月にチュニジアのマフデイア沖で発見された沈没船の積荷の中に,二点の大型ブロンズ像〔エロース〕と〔ヘルメ柱〕が含まれていた。この二体を含む一括出土品すべてについて最新の研究技術を駆使して1987-1992年に行われた修復研究の成果は1994年に刊行された報告書は,互いにわずか十年しか隔っていないにも拘らず,その聞の研究の目覚ましい進展を如実に反映している。さらにその後も重要な科学的研究報告が続いており,マフデイアについてはヘレニズム時代の制作技術の研究が重要である(Willer1996 ; 1998 ; 1999)。古代地中海世界の大型ブロンズ像の制作技術に関する現在の総合的知見に基づき,マフデイアの〔エロース〕と〔ヘルメ柱〕の制作技術の特徴をここに摘要する。紙数の制約のため技術用語の説明は省略せざるを得ないが,記述を有機的なものにするために,制イ乍過不呈の)I[買に従って記す(注1)。1 (マフデイアのエロースJ(Tunis, Musee National du Bardo, Inv. F106) 1907年6月21日にチュニジア古代管理局長官,アラウイ博物館(現在のパルド博物館)館長のメルランがパリの碑文文学アカデミーに電報を送った(Merlin1907) ,その数日前にマフデイア沖の海中で発見され陸揚げされたと推定される(HellenkemperSa-lies 1994, 5 -6 )。総高136.5cm(修復前は140.0cmだ、った:Willer 1998, 80)。間接失蝋法。失われた左手の持物を除く分鐸:90(1)頭部。(2 ) トルソ。(3 4 )両腕。手は腕と同錯。持物の弓と矢は別鐸の上,左の拳の中に鉛で固定されていた。(5 -6 )両脚。両脚ともふくらはぎのーヶ所に鉛のほぞを流し込むための小窓を開けた。(7 )左前足。支脚側。(8 -9 )両翼。図l参照。Willer1998, 84Abb.23, 86 る(Riαce1984)。これは個々のブロンズ作品について自然科学的研究と美術史学的研(Mahdia 1994)。リアーチェとマフデイア。それぞれ二巻からなるこれら二つの重厚な67
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