鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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もi81-2 : E:ruyxaνoνμbHρτLχαλχOU何ゐνUπoπIITOUμOlJOc(]τ匂νoντEχatμEτ時ρ1':))0ν.(1)原型の制作;五mm巴r1985, 49)。Abb.26. 制作年代は前125年頃と推定される(Soldner1994; 1998 ; Hellenkemper Salies 1994)。頭部とトルソの聞の熔接線は首の下の方にある。遊脚だけでなく支脚もトルソとは別に鋳造している。足の中指が分鋳されていない。これらはいずれもヘレニズム期以降の標識と解される。コピーの場合原型は大理石やブロンズであるが,[マフデイアのエロース〕の場合は粘土だったに違いない。参考になるのはベルリンにある赤像式オイノコエーである(Berlin, Antikenmuseum, F2415:カプア出土,前470年頃oZimmer 1982, Farbtaf. 1; Mattusch 1980, pl. 55, fig. 3)。アテーナーが右手で馬を象っており,地面に置いてある粘土からー塊りを取って左手に持っている。馬は日や耳の細部まですでに仕上げられているが,手で、象っているからロウではない。アテーナーは間接失蝋法鋳造でブロンズ像を制作するための最初の原型を,粘土で、作っているところと考えられる(Mat-tusch 1980, 238; Zimmer 1982, 6 ; Formigli 1984, 138n16)。骨組みにはおそらく木が使われた。牝型制作を容易にするために,原型を適当に切断することができるからである(Formigli1984, 108; cf. Haynes 1992, 65ニ73n1 )。(2) 牝型の制作牝型の素材は粘土か石膏である(Willer1998, 84)。原型に型取りの素材がくっついて残ることを避けるため,原型には予め涯青(πarα,πJσσα)なとεを塗っておいたと考えられる。これはルーキアーノスの記述に基づく推測である(Loukianos,Zeus trag. (3) 鋳造原型の制作:牝型の内面にロウを敷く修復のため像を解体する前に行われたコンピューター・トモグラフィー(CT:Computertomographie)によって,次いで解体後は現物について,ブロンズの内面に継ぎ目が認められた(Willer1998, 84Abb.22 [肩J; 85Abb. 25 [トルソJ)。これはそれぞれの分錆部分の鋳造原型が前後三枚の牝型に蜜蝋を敷いたものからなっていたことを示している。さらに両腕全体と両脚の下部においては,ロウを敷く際に,加熱して柔らかくしたロウの板を相接して継ぎ合わせて敷いていったことが分かる(Willer1998, 84Abb.23)。肩,両脚,左腕の内面などに,ロウの滴がブロンズになった状態で認めら68 -

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