鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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一77-1994 [HermeH] , 960Abb.1, 965Abb.11)。熔銅を流し入れた際にそこに入り込んだブmeH] , 964)。外型についても同様のことが起こりパリが生じた筈だが,外面のパリはmmの幅の薄い色の線によって縁取られている。この縁取り線は肉眼では黒く見えるチェAJでは,最大分鐸部分であるトルソと両脚は上下を逆さにしないで垂直に立てて鋳造された。これは像の上に行くほど鉛が少なくなるという合金分析結果に基づく推定である(Formigli1984, 12ltab. 1)。頭を下にして湯を流し込んだ考古遺品で最も早い例はデーメートリアス(Demetrias)出土,前2世紀中頃の小型のアテーナーの胸部の外型の断片から推測されるブロンズ小像である(Zimmer1990, 114, 208 Nr. 8. 3. 82, Abb.69)。これ以前の証拠は見つかっていないが,ギリシアのブロンズ鋳造家たちはもっと早い時期にその利点を理解したはずである(Haynes1992, 72)。〔マフデイアのヘルメ柱〕の鋳造に要したブロンズは約55kg,6 eと推定される。この数字は次のような計算に基づく。現在の総重量32kgから鉛の充填物の重量約7kgを差し引くと25kg。ヘルメ柱の合金の平均組成はCu70%, Sn 12%, Pb 18%である。現存するブロンズの重さ25kgから,比重を考慮してそれぞれの金属の重さと量を計算すると,Cu17.5kg (1.90, Sn 3kg (0.4e), Pb 4.5kg (0.4e)となるoi足ってブロンズ全体としては25kg(2.7 e )である。これに柱の欠損部分のために0.3eを加えると3e。湯道と通気管のために同量のブロンズが必要なので3eを加えると6e。これはおよそ55kgとなる(Willer1994 [HermeH], 963, 970n 9 : ca.50kg)。(9) 表面の研磨,失敗部分の補修,装飾的細部の付加溶かし出す際に,中型側では固定釘の四つの角からひび割れが生じた。これはまず対角親の方向に伸びた後多くの場合水平に方向を変えてジグザグ形をなした(Willerロンズは,深さ4cmに及ぶ先細りのパリを像の内面に残している(Willer1994 [Her-無論掻き落として研磨された。献金は全部で約170施されている(Willer1994 [HermeH], 970n 7 )。固定釘を抜き取った後に残る穴(Willer1994 [HermeH], 960Abb.1, 965Abb.11, 966Abb.13)などの他,大部分は気泡を覆い隠すためのものである。〔マフデイアのヘルメ柱〕ではきわめて特殊な技法で翫金が施されている。エックス線写真ではそれぞれの鼠金は0.1-0.2が,この部分は鉛であることが分かつた。無論献金自体はブロンズである。不良箇所の周りにたがねで、四角形のくぼみを掘ったあとそこにくぼみよりも広い鉛の薄板をノTリは固定釘の周辺に多く認められる。鋳型(鋳造原型と外型)を燃焼してロウを

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