m巴H],966Abb. 14)。柔らかい鉛に挟まれた最金は,それがない場合よりも正確に穴の置き,その上からブロンズの献金を金槌で叩いて入れるのである(Will巴r1994 [Her-中に入り,しかも叩く力も小さくて済む。とりわけ地のブロンズが薄くて傷んだ箇所では,翫金作業による損傷の危険を軽減できた筈である。より持続的な結合が得られ,また罰金作業の後にブロンズを高温で熱して熔接を行っても普通の技法よりも耐久性があることが,復元的実験によって証明された。この翫金技法は〔マフデイアのヘルメ柱〕以外では知られていない(Willer1994 [HermeH] , 966-967; 970n12)。頭部の右前のタイニアの上に,同じーっの葉柄から出た葡萄の葉が二枚上下に重なっている箇所がある。下の葉の方が小さく上の葉によって完全に覆い隠されている(Will巴r1994 [H巴rmeH], 962f. Abb. 5 -6 )。またタイニアの上に取り付けられていた葡萄の葉の葉柄が折れて失われた箇所が三つ認められる(Willer1994 [HermeH] , 962 f. Abb. 5, 7)。その下のタイニアは完全に象られているので,これらの葉柄と葉は頭部の鋳造後に熔接されたと推定される(Willer1994 [HermeH], 961)。着色・鍍金の痕跡はない。(10) 目の挿入鋳造後,頭部の中から鋳造土が抜き取られた。おそらく後頭部に穴が聞けてあった,すなわち中型の土と外型の土とが接するようにしてあった。鋳造土を取り出した後この穴はブロンズの板で塞がれた(Willer1994 [HelmeH] , 965)。両目とも失われているが,ヴィラーは両日の象棋はこの穴を通しておそらく内側からなされたと考えている。しかし一般には目は外から挿入されたと推測される。おそらくロウ原型ないし粘土の原型の段階ですでに眼簡を作り,原型に目を装着してその眼差を考慮に入れることができるようにしていたと思われる。そうすれば鋳造原型に残された眼簡はそのままブロンズの眼嵩となり,最後の調整がきわめて容易になったに違いない。ギリシアの大型ブロンズの目を受ける穴は常に内側が狭くなっている(Haynes1992, 106)。ω 基台への据え付けコンピューター断層撮影によって,大理石の基台の頂部の中央が階段ピラミッド状に立ち上がっており,その中央に穴を穿ってヘルメ柱の鉄の支持棒を挿入していたことが分かった(Willer1994 [HermeH], 968, 967 Abb. 15-16)。完成したヘルメ柱を基台の上に立てた後,予め柱の側面に開けてあった窓から鉛を流し込んで固定したと推定される(Willer1994 [HermeH] , 968)。熔けた鉛は階段ピラミッドの中央の穴の中の-78 -
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