鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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注鉄棒の周りにも入り込み,彫刻をがっしりと基台に固定した。ヘルメ柱の前面,向かつて右下の欠損部の縁にはひび割れがあり,またこのあたりのブロンズは歪んでいる。これは海中に沈んだ時ではなくヘルメ柱を基台から無理に取り外そうとした時に生じたものである。おそらくまず前面から下端に金挺子状の道具を差し込んで挺子の作用で倒し,次いで、後ろからも下端に工具を挿し入れて取り外したと推定される(Willer1994[HermeH], 968; Mahdia 1994, Farbtaf.34, 1 )。大理石の基台の階段ピラミッド部分が鉛の中に着いたまま折れ,そのまま残っている(1 ) 古代ブロンズ、の制作技術についての総合的考察,および個々の考古遺品の発見・技術・様式・意味・年代などをめぐる議論の詳細は,いずれ刊行される『古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻jで述べる。〔マフデイアのヘルメ柱〕との関連で〔ゲッテイのヘルメ柱〕も重要であるが,本稿では割愛した。〔リアーチェ〕については独立した論文を近く発表する予定である。Vorreid巴dicarequesto articolino 文献表(Willer 1994 [HermeH], 968, 967 Abb. 15)。alla m巴moriadel Prof. Formigli. segemann -Schmitt・Strecker1994: Friedrich Bege.皿叩n,Sig出Schmitt-Strecker,(Das Blei von Schiff und Ladung : Seine Isotopie und m凸glicheHerkunft}, Mahdia 1994, 1I, 1073-1076. sol 1985 : Peter Comelius Bol, Antike Bronzetechnik, Munchen 1985. Brunnengr誌ber1994: Cbr肌anoBrunnengraber, {Zur Herstellungstechnik der Ruderkastenbeschlage}, MaJul凶1994, 1I, 1007-1008, Abb. 1. Eggert 1994 : Gerhard Eggert,

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