鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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⑦ 友泉亭杉戸絵の復元研究宝暦4年(1754),筑前藩主黒田家の第6代藩主継高によって建てられた友泉亭は,日本画家松永冠山(l894~1965)の障壁画(杉戸絵)があったが,建物の解体ととも(1 ) 友泉亭の復元研究者:福岡市博物館主任学芸主事はじめに幕末まで黒田家歴代の別邸として存続したが,明治以降は他家の手にわたり,昭和53年,敷地全体が公園として整備されるに先立つて老朽化のため解体された。友泉亭には,福岡県出身で文展や帝展において活躍し,福岡の美術界に大きな貢献も果たしたに失われたと思われていた。ところが,杉戸絵30枚(全枚数は60枚といわれるが不明)については,昭和53年当時に公園整備を担当した福岡市職員の機転によって救われ,人知れず保管されていた。これらは平成11年に福岡市博物館の所蔵となり,現在に至っている。この研究の目的は,再発見された友泉亭杉戸絵を松永冠山の画業における重要作と位置づけ,これを復元して顕彰することにある。したがってこの報告では,まず第Iに障壁画が描かれた当時の友泉亭の平面を復元し,現存する杉戸絵を復元配置することを試みる。第2に,復元案に基づいて全体構想を明らかにしながら各国を分析し,最後に松永冠山の画業全体における意義を考察する。l 友泉亭と杉戸絵の復元そもそも友泉亭は,黒田家の手を離れたあと,またそれ以前の江戸期においても複数回にわたって部分的に補修や改修がなされている。今回の調査においても基礎石と後補の補強束石の混在が確認され,区別も難しい状況だった。ここでは,今回行った礎石の実測と測量調査,並び、に解体に先立つて行われた実測調査の報告書(注1)をもとに,建設当初でも解体直前でもない杉戸絵制作当時,つまり昭和初期の友泉亭の平面を考察し,復元する。床組については,報告書に「土台・大引等は当初と考えられるが,工法的にみて矛盾する所がある。各所に大引の補強束がある」とあり,建物の位置や規模,土台は建設当初の姿をほぼ保っていたと思われる。同じように,平面,天井,架構,屋根など中山喜一朗-83-

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