鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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てみてすぐにわかった。東北の部屋との間仕切り4面(19~22)は裏面に白く雪の積もった梅図が描かれており,東側に面する丈の高い睡蓮4面(23~26)の裏面には絵に面する2枚の建具の幅が通常の半間よりも大きいはずであることだ、った。現存のうち,松に旭日が描かれた2枚(12,13)の法量がここにぴたりと当てはまる。また,松に白鷹の2枚(14,15)は幅が狭く,松に旭日の2枚と柱を挟めば図様も連続する。こうしてこの4枚の位置をまず確定した。これらの裏面には薄が描かれている。また旭日から向かつて左に図様が連続する1枚(9 )を,隣の部屋との間仕切り4枚のうちの一番北側に置いた。これを松に旭日と一列に並べると,裏面は竹なので,薄と不連続になってしまうからである。必然的に二間続きの西側の部屋に竹図をあてはめていつt::.0 (9)の向かつて左に連続する4枚(5~ 8)を北側に当てはめた。裏面は柳図である。さらに西側には(1~ 4)を置く。この部屋は竹の間となった。重要なのは,この部屋の西側4枚(l~ 4)の裏面にはなにも描かれていないことである。ここから,竹の聞の西に続く4畳の部屋は居室ではなく,納戸,物置部屋であろうと推定し,杉戸絵の配置から除外した。そして,表裏に松と竹が描かれているものの,他と図様が連続しない2枚(10,11)は,竹の聞と松の聞の間仕切りのうちの一番南側,つまり廊下を仕切る2枚とした。これは,[図2Jの写真による。写真の左端に見えているのが(10)である。こうして,[図2Jのうち失われた3面の松図の裏には竹が描かれていたはずであることも判明した。さらに,表裏に松と睡蓮が描かれ,他と図様が連続しないものが2枚(16,17)ある。松の枝が向かつて左から右へ伸び、ている点に着目し,松の聞と東側の部屋との間仕切りの位置に置いた。画面の不連続は,床の間の壁に描かれていたかもしれない図で埋め合わせたのである。この仮定が正しいことは東南の部屋に睡蓮図を当てはめがない。これもまた,間仕切りではなく何かの扉だったわけである。残りのうち,薄と杭にとまる小禽が表裏に描かれている2枚(27,28)は北側廊下の中程にはまった。小禽の右tにみえる柳の枝が,竹図裏面の柳図とうまくつながるし,小禽が描かれた杉戸の縁にチョークで書かれた「北廊中Jという文字とも合致する。同じように薄の描かれた2枚(29,30)は裏面との関係からも梅の聞の入り口にあてはまった。燕子花と南天が表裏に描かれ,松永冠山の落款があるl枚(18)が最後に残った。これは図柄がどれとも連続せず,決定的な証拠はどこにもないが,松図の右端と想定して東南の隅の位置に置いた。落款がある場所としてもふさわしいと思-85-

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