鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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最初は,自分の画風にあった画題や表現で近代的な障壁画を描こうとしたのだと思う。しかし,黒田家の別荘だ、ったことや,何よりも襖ではなく杉戸という特殊な素材のために,全体の構想、も表現も伝統的な障壁画に基づいたものにしたと思われる。次に論じるが,友泉亭の杉戸絵制作は,冠山にとって量だけではなく表現の質に関しでも新しい挑戦だったのである。(2) 杉戸絵の表現冠山が最も苦心したのは松図であろう。友泉亭杉戸絵の中心であり,画格の高さが求められる。構図は,巾央に巨大な幹を集中して置き,左右に極端に枝を伸ばしていくものである。そこには,狩野永徳や長谷川等伯の巨木構成を学んだ形跡が明らかである。特に,s字にカーブした幹が天地を貫き,巨大な羽のように枝を張る図様は,智積院の楓図を想起させる。大仙院の狩野元信画も参考にしたかもしれない。しかしながら,松樹自体の表現は,樹皮や松葉,細い枝などあくまでも近代の日本画家らしい写実表現に徹している。そのことが,結果としてこの図をきわめて個性的なものにしている。つまり,桃山の障壁画から学んだ構図がもたらす平面的な空間に,量感豊かな大木がうねうねと枝を張っているのである。松図の異様な迫力は,杉板が十数枚も並ぶ特殊な空間を,力わざでねじ伏せようとしたところに起因する。全体を眺めると,ある程度の奥行きも感じられる画面となっている。対して竹の聞では清涼感が大事にされたはずで、ある。竹の表現には松のような粘りけのある執劫な写実描写がない。また極端な構図もとられていない。杉板の素地の平面性と調和をはかるように,松図でみられた枝の重なりを避け,空間の厚みを求めず,奥行きへの指向も押さえられている。斜めに画面を走る竹や,動きのある葉の細かな表現は,風が通る竹林を意図したものであろう。枇杷の薄い緑色も,涼しさを演出するに効果的である。松図,竹図についで、冠山が力を入れたのは睡蓮図である。この図の一部には,丁寧な下描きもあって貝島家に残されている。ただ,松や竹に比べて,睡蓮図にはどこかしっくりしない点もある。蓮池の風景であるから,大小組み合わされた蓮によって画面に奥行きを与えなければならないのに,それを説明する水面や背景が描かかれていないところに原因があるのだろう。蓮が写実的で量感も豊かなだけに,杉板の素地が遊離して見える。松図では縦横に走る枝の重なりによって杉板の素地が印象に残らないため,ある程度の奥行き感があった。竹図ではモチーフを平面的に配して重なるこ-87-

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