鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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とを避け,図と地の調和をはかつて成功した。睡蓮図では,各モチーフの大きさや形態からすれば素地との調和をはかつて平面的にするほうが自然、だったのに,設定がおのずと奥行きを求めた。そこに画面空間としてのぎこちなさが感じられるのである。梅や柳,薄は簡略に描かれている。杉板の木目や質感に絵が添えられている感がある。重要な場所でもなく,時間も切迫していたのかもしれない。いかにも建物全体の障壁画構想をまとめるために急いで描いたと感じるが,例えば松の聞があまりに濃密であるから,こうした簡素さがあってもよいとも思える。以上簡単に杉戸絵の表現を概観したが,最後にこれらを冠山の画業全体の中に位置づけながら再考してみよう。松永冠山が中央画壇にデビューしたのは,1清境」が第11回文展に初入選した大正6年である。まだ京都市立絵画専門学校本科に在籍中のことだ。以後,第2回帝展で「夕陽」が入選し,第5,6, 9, 11, 14回と入選をかさね,戦後の昭和22年には日展委員となった。こうした前半期の作品は,第11回帝展入選作の〔図9Jの「行く春J(昭きわめて近代的な空間把握に基づいた風景画である。そこに共通するのは,空間表現に対する強い関心である。描かれた景物やモチーフそのものよりも,それらが関係しあって形作る,時には濃密,時には明快な空間そのものの表現に冠山の力点はあった。冠山作品に対する評価も,画面空間の近代性と清新さにあったと思われる。冠山がもっぱら描いた主題が季節を意識した風景であったこともうなずけよう。こうした画風は,戦後,そして晩年ではしかし大きく変化している。〔図11Jの「夏秋草図」は,制作時期は明らかではないが,戦後の中年から晩年期を代表する優作である。ここにも湿潤で濃密な大気はある。しかしながら背景は描かれず,作品の主役はあくまでも草花である。ただ,百合にしても朝顔,露草にしても,みずみずしい質感は大事にされているが,立体感や量感は適度に押さえられ,周囲の空間と調和がはかられている。草花によって空間を描いたのでもない。むしろ,最初に湿潤な大気が想定されており,そこから草花が現れ出たというような地と図の関係がみられる。前半期の風景画の表現意図を,景物の配置と表現によって清新な空間を現出させ,そこに観者の視線を吸い込んでいくところにあるとすると,I夏秋草図」は,あくまでも草3 冠山の画業と友泉亭杉戸絵和5年),[図10Jの第14回帝展入選作「六月頃J(昭和8年)などでも明らかなように,-88-

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