鹿島美術研究 年報第19号別冊(2002)
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7王(1) 昭和53年12月の調査に基づき,有限会社大部設計事務所が作成したもの。その日(3) 蛇足だが,友泉亭を復元して建築すべきという意見も一部にあがヮている。実現る(注3)。である。今後は,再発見されたこの大作が重要な意味をもってくるものと確信してい最後に,ここで報告する余裕はないが,今回,様々な局面でコンビュータの活用を試みた。昨今のCADや3Dのソフトは,個人レベルでの仮想空間の活用を十分可能とする。復元作業だけではなく,例えば障壁画の展示においても,3D画像は観覧者の作品理解を大いに助けるし,手法としても魅力的である。これを機に,さらなる応用を試みたい。的は,破損や老朽化が甚だしく解体は妥当で、あるという結論を導くことだ、った。(2)松永寿人氏はしかし杉戸絵に関してはほとんど記憶しておられない。多くの家財道具のために杉戸絵が見えなかったことや,まだ幼少だ、ったためでもあるが,杉戸絵の一部は外されて納戸などに入れられていた可能性もある。すれば残された杉戸絵を配置することも可能であり意義深いが,建設当初に復元されればすべてを配置できなくなる。幾度も改修を重ねた建物の宿命といえようか。この研究に当たり,貝島家や松永冠山関係者,並びに多くの所蔵家,また友泉亭公園にかかわった人々の協力を得た。記して深甚の謝意を表する次第である。90 -

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