① ボ口ブドウール説話レリーフの制作過程研究者:大阪大学大学院文学研究科博士後期課程丹羽千代子1.はじめにボロブドウールはインドネシアのジャワ島にある仏教遺跡で、中部ジャワ時代(8 〜9世紀)にその地を支配していた、シャイレーンドラ王朝によって建てられたと考えられている。この石造建築物は、段状ピラミッドともいうべき6段の方形テラスとその上にある3段の円形テラスから成っており、頂上には大きなストゥーパが置かれている。6段の方形テラスは、主壁と欄楯によって4つの回廊を構成している。この主壁と欄楯には、大乗仏教のいくつかの経典をもとにした膨大な数のレリーフが施されている。上方の円形テラスには、72基の釣鐘型のストゥーパが配されており、その内部には等身大の仏坐像が安置されている。欄楯の外側にある仏禽の内部にもまた、等身大の仏坐像が配置されている。第一回廊から第四回廊の欄楯に配された仏坐像は、方角によって異なった印相をしているが、第5番目の欄楯の仏坐像はすべて同じ印相である。ボロブドウールは、古代インドネシアにおいてのみではなく、世界の仏教遺跡を見渡してみても、他に例を見ない建造物である。1814年にT.S. Rafflesがジャングルの中より発見して以来、建築学者、考古学者、哲学者、美術史家などの数多くの研究者が、ボロブドウール研究に携わってきた。特に、過去数十年間に行われた考古学的調査や発掘により、ボロブドウールの建造過程はいくつかの段階に分けることができるということが明らかになった。建築学者のTh.van Erp、J.Dumar~ay、千原大五郎氏によって提示されたこの説は、説得力があり興味深い説である。しかし彼ら建築学者は、ボロブドウールを建造する際の構造的な展開に焦点をあてており、この建造物に施されたレリーフの作風が場所によって違っていることには、ほとんど注目していないように思われる。一方、レリーフの主題比定や解釈の観点から、ボロブドウールのレリーフに注目した研究者は数多く、彼らの研究の結果、レリーフの元になった経典(注1) が明らかになっている。しかし、レリーフの作風や彫刻工程については、一部の研究者が簡単に述べているにすぎない。レリーフそのものについての詳細な研究は今まで1 . 2002年度助成I .「美術に関する調査研究の助成」研究報告
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