つが選ばれて、パリに送られる。それは素晴らしく描かれた頭部像〈不吉な眼をした農夫〉である[省略]。別の習作、それは〈長輔祭〉である。そこで意見が分かれた。ある人々は、筆致と色彩の途方もない力強さを評価したがーーもちろん上流階級の恵まれた環境から選択されたモデルに対して憤慨し不満を訴え、描かれた人物を不快でいやなものとみなし、このような「嫌悪すべきJ奴が、自分の眼の前に、自分の書斎に掛かっているなぞ何があっても望まないと断言したのである。[省略]けれども、そのようなお上品な目利きと並んで、幸運にも全く別の考え方を持った鑑賞眼の持ち主が多くいた。そして、この人々は〈長輔祭〉を、その力強さと優れた点のすべてにおいて理解した。眼の前に、この上なく正真正銘の根本的に民族的なロシアのタイプのひとり、プーシキンの『ボリース・ゴドゥノーフ』の「ヴァルラアーム」(注17)が具現化されている、と彼らは思ったのである。言うまでもなく、おそらく我が国ではこのように典型的な人物がしぶとく粘り強いに違いないし、プーシキンの創作からおよそ50年後の現在でも、そのように典型的な人物が広場や道を歩いているのに出会える。レーピン氏の功績はまさに、彼がこの典型的な人物に出会ったときに、それを選ぴ、それを興奮した荒々しい筆致でカンヴァスに描いたという点にある。[省略]我が国の芸術当局の責任者達が、まさか新しいロシア画派のこの極めて重要な作品をパリ万国博覧会に不適当であると斥けると誰が考えたであろうか。けれども、それは起きたのだ!お分かりだろうが、彼らは再び全く同じことを繰り返し、我が国の傷口や潰傷を国外にみっともなく曝してはだめだ、と言うのである。[省略]ルーペンスやレンプラントを、そのような上流社会からやって来た彼らの手に渡し、その判断に委ねるならば、彼らは間違いなくそれらを放り出し、不合格とするだろう。この上、レーピン氏について何を言うべきだろうか!力強さ、特徴、独自性のかけらさえもない、さまざまな未熟で平凡な作品が話題になっても、彼らはそれらを決して不合格にもしないし、名手めるべきであり、不適当であると決して認めもしないで、皆一緒になって易々と関門を通り抜け、得意気に万国博覧会の席を占めているのである。(注18)このスターソフの展覧会評は、レーピンに同時代の風俗を描く批判的リアリズムの画家としての立場を与えようとするものであったが、レーピンはそれをそのまま受け入れなかった。スターソフを始め移動派の指導者たちの歴史画に対する否定的な態度にもかかわらず、レーピンは〈皇女ソフィア〉を急ぎ完成させ、翌年の第7回移動展101
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