鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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彩)J誌の表紙においてである。『ジャズJの図像分析でこの手法が注目されたのは、何よりもそれが、それまでマチスが活動の中心としていた絵画の制作手順からみて甚だしい変化、いわば転位を内包していたからであった。切り紙絵において色彩は形態が描きだされた後でも同時でもなく、それ以前にすでに存在していた。「切り紙絵は私に色の中で素描することを可能にした。私にとって問題は単純化だ、った。輪郭を素描してその中を色で埋める代わりに直接色の中で素描した。…この単純化がふたつの手段をひとつに統合した」(注5)というマチスの言葉を根拠として、切り紙絵において彼は「同一人物の中での素描と色彩の永遠の葛藤」(注6)を乗り越え、晩年の新境地を切り開いたとみなされてきたのである(注7)。その新しい挑戦においては、色彩が全くの抽象、つまり意味における中立の状態を保ってすでに存在していたことが重要で、あった。このために切り紙絵の形は、絵画でそうであったように自然から直接触発された画面上の等価物という縛りから解放され、「発明されたJ形と成り得て、画面は自発的かつ即興的な効果を獲得し、作品の意味は現実的経験の文脈から引き離されたと理解されたのであった(注8)。換言すればマチスは切り紙絵において自然の物象を芸術の装飾的文脈に置き換え、比類のないやり方で芸術と自然との融合を図ったということになる(注9)。この論調の中でマチスが何点かの重要な切り紙絵で画面構成の基礎に置いたグリッドがもたらす意味が解釈された。つまりグリッドは自然の物象の絵画的等価物という構造を脱した後に、芸術領域での自律性を確保する手段であったのである(注10)。2)先行作品との関連もっとも画面に紙片を貼るという手法そのものは、マチス独自のものではなかった。先行例として着目されたのがキュピスムやダダのコラージ、ユであったが、これまでの作品分析において双方は異なる性質のものであるとされてきた。キュピスムやダダが用いたのは使い古しの新聞やカタログの切れ端であったのに対し、マチスのそれは入念に選定されたものであったことから、同じ手法のように見えてもその目的と効果は違っており、前者が芸術世界に現実のかけらを持ち込むことで造形的比愉や連想を作りだしたのに対して、マチスの場合は生み出される効果を完全に制御していたと理解された(注11)。そしてこうした理解は研究者の間で既得権を獲得し(注12)、その延長上で、ダダやシュルレアリスムとパブロ・ピカソ(PabloPicasso)やキュピストとの関係には関心を払っても、マチスとの関係については等閑視する傾向が生じたと言うことカfできる。それではひとつが他を修正してしまう108 私は

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