今ひとつ『ジャズ』に関しては先立つ『パラード』との関連が指摘された。『パラード』はジャン・コクトー(JeanCocteau)が警いたバレエ劇をもとに、舞台装置や衣装のデザインをピカソが担当して1917年にセルジユ・ド・デイアギレフ(Sergede Di-aghilev)が率いるロシア・バレエ団によってパリで上演されたものである。『パラードJと『ジャズJの関連は、まず衣装のデザインや装置に見られる装飾的形態において指摘された。たとえば『パラード』に登場する「アクロパットjや「中国の魔術師Jの衣装と『ジャズJの人物の形態との類似といった具合である(注13)。さらに双方の関連の指摘は主題に及ぶ。そもそもパラードとは巡回興行で観衆を惹きつけるために、初めに上演したコミカルな芝居を指していた。それをコクトーはサーカスと演芸館の魅力を結びつけたような出し物と解釈して『パラード』を書いた(注14)。『ジャズ』の題名としてマチスが想定していたのが「サーカス」であったことから、『パラードJと『ジャズ』には共通する意匠が認められると考えられたのである(注15)。また『パラード』上演の際にアメリカのジャズを初めて生演奏したことも、「本当のジャズにはすばらしいものがたくさんある。それは即興と生命力と聴衆との調和の賜だJ(注16)とマチスが語って題名に掲げたことから『ジャズ』に通じるものがあったとされた。このような『パラード』と『ジャズ』の意識的連動をもって、マチスは『ジャズ』によって再び前衛という位置に戻り、「海図のない新しい領域へと動き出した」と受け止められたのである(注17)。3)題名と図版主題と手書きの文章20枚の図版のうち半数の10枚、つまり〈道化師〉〈サーカス〉〈ロイヤル氏〉〈白象の悪夢〉〈馬と曲馬乗りと道化師〉〈道化師の埋葬〉〈コドマス兄弟〉〈水槽の中を泳ぐ人〉〈万呑み〉〈ナイフ投げ〉はサーカスに関連する主題となっている。それは当初の題名が「サーカス」であったことから当然の事と言えるだろう。残りの10枚の主題について共通する特質は見出しにくいものの、『ジャズ』全体としては、題名の変更に伴って主題内容に変化が生じたとされている。つまり具体的な物語を想起させる図像から、特定できる物語をもたない〈心臓〉〈フォルム〉〈運命〉〈礁湖〉といった抽象的構成をもっ図像へと主題が移行したと考えられたのである。しかもその変換は個々の図像の構成にも反映し、サーカスに関連する主題を持つ図像や〈イカロス〉〈狼〉のように神話や民話に関連した主題を持つ作品には、観者の眼を引きつける焦点が設けられているのに対して、〈礁湖〉のような明確な物語を持たない図像は流れるような形態による拡散する構成になっているとされた。また〈礁湖〉に見られる有機的な形態の、珊瑚とも、貝とも、海草とも見える不特定性を、多様なものが近似によって相互に浸透し109
元のページ ../index.html#119