鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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ハUあうような、無意識の象徴と解することで(注18)、「サーカス」から「ジャズ」への題名の変更は、主題内容や構成のみならず、「手法の持ち味は作品を通して意識から無意識へ手渡されるべきだ」(注19)というマチスの言葉が示唆するように、彼自身の制作姿勢の変化にも繋がると解釈されたのである。それではこれら図版と手書きの文章とはどのような関係を持っていたのだろうか。そもそも手書きの文章を図版に添える発想は初めからのものではなかった。当初マチスは既存の文章からなにがしかを選定するつもりであった。ところが図像が完成するにつれ彼は考えを変え自ら文章を書くことにした。それはテリアドが「なぜ、ならマチスは既存の文章で適したものを思いつくことができなかったから」(注20)に相違ない。そうであれば図像はできあがりつつあったのだから、その段階で書いた文章は当然図像と何らかの対応関係を持っていると考えられるのであるが、「これらの頁は色っきの頁の添え物に過ぎない。…それらの役割はゆえに純粋に視覚的なものだ」(注21)とマチスは意味上での双方の関連を否定した。ところがこの制作実態とマチスの言葉との間にある明らかな矛盾は、その後の分析では不問に付され、その一方で、手書きの文章を添えるという発想にはピカソの影響があったと形式上の類似をもとに推測された(注22)。文章と図像との関連に言及した数少ない分析においては、文章を書くにあたってマチスが作った覚え書き(注23)と『ジャズJの文章とが比較検討され、文章における主題は老いがもたらす神聖な自由と自己没入であるとされたのである(注24)。4)『ジャズ』の分析をめぐる問題点これまでの分析を概観するとそこに偏向とも言える特徴があったことに気づく。分析にあたって何より着目されたのは作品の形式的特質と制作手法の特異性との関連であった。それ自体が解釈において重要な手がかりであることに異論はないが、論を作品と制作者の関係、あるいは作品と先行例の関係に限定して進めたことには疑念を抱く。芸術を超歴史的なものと位置付け、歴史がはらむ動勢と切り離すことによって形式的意味を抽出する方法において作品を解釈するとなれば、マチス自身の言葉を無批判に真理として前提するより他はなかっただろう。結果的に『ジャズ』は進化する前衛芸術家の新たな挑戦と位置付けられ、その進化が目指すのは抽象的形式にのっとった芸術的自律であったということになった。この視点からは、作品の構造に反映されたその時代の持つ問題意識が、完全に見落とされてしまうのである。また視覚的に確認できる形式的特質にこだわる余り、主題内容の検討がおろそかになったことも事実である。形式と主題は当然のことながらひとつの作品の内で融合しているのであるから、形式を読み解くことがそのまま主題解釈に連動する方法を見つけるべきである。

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