鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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I .「十字架」(fol.1 v)〔図l〕II .「栄光のキリストJ(fol. 2 r)〔図2〕「十字架」は、〈ジローナ本〉以前に制作された〈パヤドリード本}(Valladolid, Bib-lioteca de la Universidad, MS433)の巻頭(fol.1 v)を飾っており、〈ジローナ本〉からベアトゥス写本に導入されたものではない。しかしながら、〈ジローナ本〉には先行作例にもない仔羊、海綿と槍、2福音書記者の象徴という3要素が付加された。この「十字架」の改変は、ウィリアムスの指摘するカロリング朝トウール派の「マエスタス・アグニ」からの影響だけとは考えにくい(注3)。むしろ、レコンキスタの勝利のシンボルである十字架本来の意味に加え、受難具によって暗示された十字架上でのキリストの勝利、そして屠られた後復活して新しい生命を持った勝利の仔羊という3重の勝利の象徴を組み合わせて生まれたと考えられる。海綿と槍という説話的意味を残す象徴としての受難具とそれを執筆した福音書記者の象徴は、後続する「キリスト伝」の導入がなければ加えられなかった要素である。それまで羊皮紙の地色のままであった「十字架」の背景は藍一色で塗りつめられ、その枠には象徴的な4つの星が置かれている。藍色の背景に出現する黄金の十字架といえば、イタリア各地で5-6世紀に制作された壮大な終末のヴイジョンを想起させるが、〈ジローナ本〉では、レコンキスタの勝利にまつわる十字架伝説や、戦争を神の審判と見なして戦場に向かった西ゴート時代以来の荘厳な十字架崇拝の儀式に由来する固有の十字架信仰にむしろ関係が深い。「キリスト伝」の中の「礁刑」の背景も十字架と同じく藍色に塗られ、この3重の勝利の象徴を重ね合わせた十字架の顕現幻想、が視覚的記憶のなかによみがえり、「楳刑」の勝利者キリストの姿を強調する効果をも生んでいる。この勝利への強い希望は、「トレドの町ラス・ピラスでフェルナンド・フラギニスがモーロ人の帝国と戦っていた。その年は975年である(注4)」という〈ジローナ本〉の奥付の言葉からも伺える。このような異教徒に対する勝利への切なる願いと「キリスト伝Jの導入とが、先行作例とは異なるイメージの実現の背景にあったと考えられる。「十字架jの対向ページにおかれた「栄光のキリスト」は、続く「キリスト伝」とともに、福音書的関心によって巻頭に付加されたという福音書化の側面がもっぱら強調されてきた。確かにこのフロンテイスビスとこれに続くキリスト伝挿絵群の導入を見れば、本来黙示録注解書であったにすぎないベアトゥス写本に福音書的権威が付与されたと考えられる。しかも、本「栄光のキリスト」は、カロリング朝トウール派のい

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