III.「天図」(fols.3 v 4 r)〔図3〕わゆる〈ヴイヴィアンの聖書〉の福音書のフロンテイスピスに見る菱形図形や八の字型マンドルラといった要素を採用している(注5)。しかし、トウール派の意味深い図形の重なりは、〈ジローナ本〉では、光の根源であるキリストから、マンドルラへ、そして金色のリボンへ、さらには菱形図形へと輝きが膨らんでいく光彩の多層構造へと変質している。これは黙示録注釈本文で神の顕現について述べるベアトゥスの記述と呼応する。そして最も重要なことは、〈ジローナ本〉の「栄光のキリスト」が、トウール派のフロンティスピスのように大きく威厳あるキリストを描いて主の顕現を栄光の内に表すことを主体としてはいるが、トウール派に描かれることのなかった霊魂とその上昇に関与する天使とを描くことによって、救い主としてのキリストが強調されている点である。この救いについて、次に分析した「天図」がその複雑な図像をもって註解している。「天図Jの多様な図像要素の中からキリスト像、徳の擬人像と霊魂、および天使に注目し、「天図」の分析を行った結果、この「天図」の意味するところは、高位の天使に導かれて天に引き上げられた霊魂が、徳の道を香炉の煙と共に有翼の獅子(天の軍団)に守られて、至高天に君臨する勝利者キリストの元へと上昇する救済のシステムであるという知見を得た。このような、上昇と救済のシステムを構成している全ての要素が、スペインにおいて広く読まれた大グレゴリウスの教説を軸に相互補完的に結合し、「天図」の主題を構成している。大グレゴリウスの教説は、「キリスト伝」の最後を飾る「冥府降下」の中層領域の煉獄表現や(注6)、対向ページの「義人の悦び」の中段にいる聖人たちが対向ページの煉獄にいる無名の死者救済のために行う聖体の奉献を伴うとりなしの祈りに認められる。また、この「天図」の徳の道に現れる6人は、「義人の悦び」下段にも描かれている。これらは最後の審判の際に死者の霊魂救済の扶助者となる徳を擬人化したものであり、諸徳を通して義人の霊魂は、至高の光に触れることができるといった一連の大グレゴリウスの教説の救済の教義に符合している。さらに傷みが激しくはっきりと見えないキリストの姿を詳細に観察した結果、兜をかぶり、槍と盾を手にする武装した姿であることがわかった。「十字架Jで引用した〈ジローナ本〉の奥付の文脈は、その制作地と考えられているイスラム教徒対キリスト教徒の紛争が苛烈だ、ったドゥエロ川流域に位置するタパラ修道院が、当時の軍事政策に関心を示しかっ勝利を願っていたことを伝えている。それが、修道院における軍事的・政治的関心を生み、武装するキリストの表現へと導いたのである。こうしてみる120
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