「2天使の捧持する書物jページ(以下B)と2挿絵l対形式で全8ページにもわたって上Bの象徴は、黙示録註解書挿絵に登場する4つの活物の表現と同一であり、明らかと、福音書の主題に先立つて新たに導入された「天図」の中央に武装するキリストを君臨させ、その締めくくりを飾る位置に受肉と勝利のアレゴリーである「鳥と蛇Jを置いた巻頭挿絵の構成には、教会の勝利を祈念するキャンベーン的な意図が窺えるのである。このように「天図Jは、武装するキリストによって象徴された力と擬人像や道によって象徴された徳、これら二つの聖性が回転運動の中で均衡を保ちながら、霊魂の上昇を示す内面化されたプラネタリウムと言えよう。N.「四福音書記者」(fols.4 v-7)〔図4、5〕「福音書記者」ページ(以下A)は馬蹄形アーチの内に坐像と立像の2人物を配置し、いる。これらは、〈ジローナ本〉に先行する〈モーガン本〉の巻頭に「キリストの系図」とともに導入された。こうした巻頭編成の新約聖書に基づく大胆な改変は福音書と同等の権威をベアトゥス写本に与えるためであり(注7)、それがベアトゥス写本の福音書化の第一歩といわれている(注8)。特に注目したいのは、馬蹄形アーチのリュネットに現れる福音書記者の象徴がAとBとでは異なった活物として描かれていることである。Aではマタイの象徴である人を除き、全身獣である。もともと翼のある鷲は別として、象徴には翼も描かれていない。つまりAの象徴像は、天上の住人であるアトリビ、ユートを一切持たない地上の活物である。一方、Bでは、全て有翼であり、天上の住人を示す半身像で表され、しかも人間の手を持ついわゆる獣頭人間型(注9)である。つまり、福音書記者の象徴はAでは地上的、Bでは天上的な存在として描き分けられているのである(注10)。そのに黙示録註解書本文の挿絵との対応関係を示している。Aに登場する人物の持つ書物は、イエスの地上での行為を記した福音書であり、そのよき報知を全世界に述べ伝えるために人の姿をした者が仲介者となってその使命を負っている。一方、Bでは超現実的な幻視が語られている黙示録を含めた聖書あるいはこのベアトゥス写本を、まことの仲介者たる天使の手を介して啓示することを示しているのである。馬蹄形アーチを用いた建築的な枠は、同時に教会を意味することは言うまでもないが(注11)、ここではリュネットにいる地上的・天上的という2種類の象徴を描き分けることによって、教会もまたAでは天上の教会、Bでは地上の教会を示しているのではないだろうか。ベアトゥスは、「天と地とはともに教会である。というのも天は人の魂であり、地は地上の肉であるからである。魂と肉の統合、すなわち双方は霊的にー
元のページ ../index.html#131