鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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⑬ 常盤源二光長周辺制作絵巻物群の研究一一一「伴大納言絵巻」の制作目的について研究者:東北大学大学院文学研究科博士課程後期五月女晴恵はじめに「伴大納言絵巻」−「彦火々出見尊絵巻」−「吉備大臣入唐絵巻」は、常盤源二光長周辺で制作されたと考えられている。これらの絵巻は、光長が後白河院側近の絵師であったことや、その伝来経緯の考察等から、後白河院の命によって制作された可能性が考えられることが旧来から指摘されて来た。しかし、これらの絵巻と後白河院との関連を明らかにする研究は進展しているとは言い難い状況にある。そこで、本稿では、特に「伴大納言絵巻jを取り上げ、その制作された背景に、後白河院の信仰態度や思想、等が影響した可能性を指摘したいと思う。1 御霊・伴善男鎮魂説の検討「伴大納言絵巻」が制作された理由については、昭和37年に近藤喜博氏によって、御霊となった伴善男を鎮魂することにあったという説が提示されて以来、数名の先学たちによって御霊・伴善男鎮魂説が繰り返し唱えられて来た(注1)。それらの先行研究が、その根拠として挙げているものをまとめると、主に次の三点となるだろう。第一に、下巻の調書の末尾が「いかにくやしかりけんJで締めくくられていること。(小峯和明氏・五味文彦氏・松尾剛次氏)第二に、伴善男の肖像(顔)が描かれていないこと。(小峯和明氏)第三に、『今昔物語集』巻第二十七「或る所の膳部、善雄の伴の大納言の霊を見ける語第十一」に伴善男の霊が「行疫流行神」として登場すること。(近藤喜博氏・小峯和明氏・五味文彦氏・松尾剛次氏)まずは、これら三点が、御霊・伴善男鎮魂説の根拠となり得るかどうかを検討したいと思う。(I) 第一の点について「伴大納言絵巻」に登場する最後の詞書は、下巻第5紙に記されたものであるが、そ128-

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