鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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3.2.一画面内における彫刻の順序0.23、0.114などでは、何人かの人物が輪郭やシルエットで表されているからである。廊を右回りに巡った場合の終点付近に多く集まっていることは確かである。このことを根拠にしてJ.Fonteinは、彫刻家は東側ヵ、ら始めて右回りに作業をしていったと考えたのだろう。しかし、未完成レリーフは他の部分にもある。右回りのスタート地点である東口から南東角までの部分にも見られるが、西側や南側では未完成レリーフはたった3つしか見られない。このことは、彫刻作業が、東側と北側よりも西側と南側でより進んで、いたということを示している。説話レリーフが始まる東口から南東角の部分を含めて、未完成レリーフがすべての方角にあることから、何人もの彫刻家が同時に別々の場所から彫刻作業を進めていったと考えられる。彼らはボロブドウールを右回りに巡ることや経典の説話の順序には、ほとんど気をとめていなかったように思われる。要するに「隠れた基壇」では、複数の彫刻家、または彫刻チームが同時に別々の場所で彫刻を制作し始めたと考えた方が妥当であろう。レリーフの彫刻は右回りに行われたというJ.Fonteinの説に従えば、それぞれのレリーフの中でも同じように、つまり画面の右から左へと彫刻が行われたと推測できるかもしれない。しかし、この推測とは矛盾する事実が見られる。すなわち画面の左部分はすべて完成しているのにもかかわらず、右部分が未完成のレリーフが12面あるのである〔表〕。そこでこの節では、一画面内における彫刻の順序について考察してみたし、。彫刻工程の始まりについては、Th.van E叩とJ.Fonteinの説が妥当と思われる。まず、彫刻家はモチーフの輪郭をとり、次にシルエットを彫っていった。なぜなら0.4や0.119の石の表面に、かすかな刻線による大雑把な輪郭が見られるからである。また0.3,前述したように、レリーフの未完成部分は、画面の左部分だけではなく右部分にもある。画面の右部分のみが未完成で、あるレリーフが多く見られ(0.4、0.8、0.9など)、なかには0.114のように、画面の左部分では彫刻が彫り始められているのに対し、右部分は全く彫刻されていないレリーフもある。このレリーフでは、彫刻家は画面の左部分から彫り始めたことが明らかである。一方で、画面の左部分のみが未完成であるレリーフも多く見られる(0.10、0.101、0.126など)。結果として、レリーフは常に右から左へと彫刻されたのでもなく、また常に左から右へと彫刻されたのでもないということになるだろう。次に、一部分のみが未完成のレリーフを詳しく見てみよう。0.3と0.41〔図2〕では、4

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