ており、確かに、この場面では伴善男の顔貌は隠されている。また、現在、伴善男の姿であることがほぼ通説となっている上巻第13紙に描かれた衣冠束帯姿の人物も、斜め後ろからの視点で描かれており、やはり顔貌はあまり明らかではないので、御霊であるから顔ははっきりとは描かれなかったという考え方の範曙に収まるものだと言えるだろう。しかし、問題となるのは、現在、伴善男ではないという説が有力で、ある上巻第14紙に描かれた広廟に座す人物である。果たして、この人物には、伴善男である可能性は全く残されていないのだろうか。この広廟に座す人物を含めた、上巻第13紙から第14紙に描かれた三人の人物の比定については、長年に亙って実に様々な説が提示されて来た(注4)〔図l〕。そのような状況に、新たな展開をもたらしたのは、昭和61年の山根有三氏の発見であった(注5)。山根氏は、上巻第13紙と第14紙との接続部分に後世の補筆が認められることを発見し、第13紙と第14紙の聞には料紙一紙の欠落があることを指摘した。この山根氏の発見以降は、第13紙に描かれた後ろ姿の人物と、第14紙に描かれた広廟に座す人物とは別の人物であるという説が有力となる。そして、現在では、第13紙の後ろ姿の人物については、清涼殿から退出して来た伴善男の姿であるとする説が、ほぼ通説となっている。そして、問題の第14紙に描かれた広賄に座す人物については、頭中将とする説と、右大臣・藤原良相とする説の三説が有力視されている。しかし、これら二説には問題が残されているように思われる。頭中将と藤原良相とは、「伴大納言絵巻jの詞書とほぼ同文であることが確認されている『宇治拾遺物語』所収「伴大納言応天門を焼く事」において、どちらも一度ずつだけ名が挙げられている人物である(注6)。そのような詞喜であまり触れられていない人物を、このような登場者の少ない場面において、衣冠束帯姿で、顔が良く見えるように、その上、聞き耳を立てるような何やら意味ありげな様子に描き表すものであろうか。そこで、私は、この第13紙から第14紙においては、失われた一紙も含めて、絵巻特有の手法である、時間が逆行する手法と、出来事の結果をその原因よりも先に登場させるという手法とが用いられているのではないかと考えた。私は、共に常盤源二光長周辺で制作されたと考えられている「伴大納言絵巻」と「彦火々出見尊絵巻」とを検討した結果、物語の本筋の契機となる重要な出来事が描かれた場面においては、出来事の結果を、その原因よりも先に画面に登場させるという手法が用いられていることを確認した。「伴大納言絵巻」上巻の第l紙から第9紙、つまりは、伴善男の陰謀と失墜の始まりを表す応天門炎上という出来事を描いた箇所を見130
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