鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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善男の顔貌も描かれていないことを考え合わせると、上巻第13紙の伴善男も含めて総て失意の様子を表現したものと捉えられるように思われる。それでは、「伴大納言絵巻J上巻第13紙から第14紙にかけて、時間逆行の手法と原因と結果を逆転させる手法とが用いられていたと考えた場合、失われた一紙はどのような内容であったと考えられるだろうか(注8九時間逆行の手法が用いられていたとすれば、第13紙と第14紙とでは異なる時間が表現されていたことになる。従って、現在の第13紙と第14紙とに認められる震は、失われた一紙においてかなり狭められていたと思われる。しかし、ここには、盗み聞きをした伴善男が退出して来るという一連の出来事が描かれていたと考えるので、その震は閉じることはなく繋がっていたと思われる。そのような狭まりながらも繋がる霞の誘導によって、第13紙の後ろ姿の人物と第14紙の広府に座す人物とが同一であることが示されていたのではないだろうか〔図3〕。そして、このように復元した場合、上巻の構成は、応天門炎上の場景を挟んで人物の進行方向や体の向きが対になる構成であったということになる。つまり、応天門の炎が登場するまでは、検非違使や野次馬たちが絵巻の進行方向に沿って進んで行き、炎が登場した後は、会昌門前の見物人たちが炎の描かれている方である向かつて右を向き、失われた一紙を含む第13紙から第14紙においては伴善男が向かつて右に退出して行くように描かれていたこととなる〔図4〕。「伴大納言絵巻Jの構成については、源信邸の様子と伴善男邸の様子、応天門炎上を挟んだ風下の見物人たちと風上の見物人たち等、随所に対の構成が認められることがしばしば指摘されて来た(注9)。従って、失われた一紙に関する私の復元案は、そのようなこの絵巻の特徴に合致するものと言えるだろう。(III) 第三の点について『今昔物語集』巻第二十七「或る所の膳部、善雄の伴の大納言の霊を見ける語第十一」において、伴善男の霊自身が次のように語っている。「我れは此れ、古へ、此の園に有りし大納言、伴善雄と云し人也。伊豆の闘に配流せ被て、早く死にき。其れが行疫流行神と成て有る也J。当時、御霊とは、その崇りによって疫病や災厄等をもたらす存在と考えられていたので、先行研究において指摘されているように、伴善男の霊が語ったこの台調は、伴132

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