注(2)前掲(注1)小峯和明「御霊信仰論…田楽と御霊絵巻から」。(3)前掲(注1)小峯和明「炎を見る男絵巻の説話J、同「御霊信仰論…田楽と御霊絵巻から」。(4)上巻の第13紙から第14紙に描かれた三人の人物の比定をめぐっての長年の諸説紛々たる様子に(6) 「頭中将」は、「宇治拾遺物語』所収「伴大納言応天門を焼く事」において赦免の使者として源信(7) 「伴大納言絵巻」と「彦火々出見尊絵巻」とには、本筋が解決へと向かう発端となる出来事にお( 1) 「伴大納言絵巻」の制作目的が、御霊・伴善男の鎮魂にあったとする先行研究としては主に次の(5) 山根有三「伴大納言絵巻覚書ーその演出と謎の人物について−J(r出光美術館蔵品図録やまこのように、一一七七年四月に起きた安元の大火によって応天門が焼失し、その後も、災害や疫病等が続いたことは、御霊・伴善男を鎮魂する必要性を感じさせる要因になったのではないだろうか。そして、後白河院にあっては、一一七七年六月に平氏打倒の企てが失敗に終わり、自らの権勢がますます衰えて行くことに対する不安から、御霊神・伴善男の守護・救済の威力を頼りとした可能性も考えられるだろう。従って、「伴大納言絵巻」の制作目的は、御霊・伴善男を鎮魂すると同時に、御霊神・伴善男に、その絶大な守護・救済の威力を発揮してもらうことにあったと考える。ものが挙げられる。近藤喜博「応天門の火一伴大納言絵詞の性格一」(『美術史』44号、昭和37年3月)。小峯和明「炎を見る男絵巻の説話」(『説話の森天狗・盗賊・異形の道化』大修館書店、平成3年5月)。小峯和明「御霊信仰論…田楽と御霊絵巻からJ(『叢書・史層を掘るN 供犠の深層へ』新曜社、平成4年2月)。五味文彦「絵巻の訴え『伴大納言絵巻』」(『絵巻で読む中世』ちくま新書、平成6年10月)。松尾剛次「『伴大納言絵詞』の『なぞ』を解くーもう一つの御霊信仰一」(『日本の仏教』第3号、法蔵館、平成7年7月)。ついては、黒田日出男『謎解き伴大納言絵巻』(小学館、平成14年7月)において詳細にまとめられている。と絵月報』昭和61年10月)。邸へ赴く人物として記されているが、「伴大納言絵巻」の詞書では、赦免の使者が「頭中将」であるという記述は省略されている。また、藤原良相は、「伴大納言応天門を焼く事」に「西三条の右大臣」として記されているが、現在、「伴大納言絵巻」上巻冒頭の詞書は喪失しているため、詞書に記されていたかどうかは確認できない。しかし、「伴大納言応天門を焼く事jにおいて「西三条の右大臣」が記されている部分は、藤原良房が、政治の事は「西三条の右大臣Jに譲って白川に篭もっていたという、良房の当時の状況を説明する下りにおいてのみであることがわかる。いても共通した手法が用いられていることがわかる。「伴大納言絵巻」中巻第13紙には、伴善男が応天門放火の真犯人であることを舎人が言い触らす原因となる子供の喧嘩の場景が、異時同図法を円環状に展開することによって描かれている。「彦火々出見尊絵巻J巻3の第2紙から第138
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