鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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⑭ 『ガゼッ卜・デ・ボザール』と1873年の挿絵入り競売カタログの「改革」一一一1870年代の複製エッチングの流行とその背景研究者:東京大学大学院総合文化研究科博士課程陳岡めぐみ第三共和政期前半のパリを中心に、個々の絵をエッチングで複製した多数の挿絵が挿入された競売カタログが作られている(注1)。1880年頃には高価な版画集と変わらない値段の豪華版も現れた。こうした者修品的な挿絵入り競売カタログはどのような背景から生まれたのか。報告者は、この動きを同時期の複製エッチングの流行の一部に位置づけ(注2)、著名な挿絵入り美術雑誌『ガゼット・デ・ボザール』を舞台に展開された1873年の事例を通してその制作背景を検討した。そこでは、複製エッチングが、ベルギー人画商レオン・ゴシェ〔図l〕を軸とする投機家集団によって、学術や美術愛好など諸領域を横断するイメージ流布・価値付け手段として利用されていた(注3)。本調査研究が申請当初に設定した目的は、主に、l)近代版画史研究の中で等閑視されてきた1870年代フランスを中心とする複製エッチングの流行の背景、2)絵画の価値形成メカニズ、ムにおける複製イメージの利用法、3)絵画複製におけるオリジナルと複製技法との造形的関係、を分析し、明らかにすることであった。以下で見ていくように、このうち1と2については具体的な考察を行うことができたが、3については今後の研究課題となった。『ガゼット・デ・ボザール』と挿絵入り競売カタログる。創刊時の1859年から全面的に写真技法に切り替わる1933年まで、約70年間の年間挿絵制作数の平均は約13点であるのに対し、1873年度は65点にのぼった(注4)。当時の編集部は、この年の「例外的に大量のテキスト外挿絵」(注5)について、[パパン氏やローラン=リシヤール氏等々のように重要なコレクションの散逸」が間近に迫り、その所蔵絵画の思い出を版画挿絵として残そうと考えたと説明している(注6)。実際、…侯爵、フォールと、競売を間近に控えた4つのコレクションを紹介する挿絵入り記事が掲載された(注7)。興味深いことに、これらの記事で挿絵として使われた複製エッチングは、上記の個人コレクションそれぞれの競売カタログの挿絵と一致していた〔図25〕(注8)。1873年の『ガゼット・デ・ボザール』は例年になく多数のエッチング挿絵を制作す1873年3月号から5月号には、順に、パパン、ローラン=リシヤール、ラ・ロシュブ142-

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