鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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レリーフが見られることから、一画面のレリーフは何人かの彫刻家によって彫られ、彼らは一画面のレリーフをいくつかに分割して、それぞ、れをひとりずつの彫刻家が担当したと考える。例えば0.4〔図3〕を見ると、このレリーフは右と左の2つの部分に分割することができる。画面の右部分は、上枠近くにある2本の樹木の詳細部分と中央の1人の人物を除けば、ほとんど完成している。画面中央左に、3本の枝を表しているかすかな線刻を見ることができるが、完全に彫刻されずに石の表面がそのまま残っていることから、この部分の彫刻工程がレリーフ内の他の場所に比べて遅れていたことが分かる。画面の左部分では、人骨などモチーフの細かな部分は完成しているが、それらの上方にある樹木の細かな部分はまだ完成していない。このレリーフを担当した彫刻家は、画面内のある場所の彫刻がまだ完成していないのにもかかわらず、新たな場所の彫刻に取りかかったのだろうか。このレリーフは、少なくとも二人の彫刻家が担当したと考えるのが、より妥当であるように思われる。ひとりが画面の右部分を担当し、もうひとりは左部分を担当したのである。おそらく彼らは、お互いの仕事を邪魔しないように、それぞれ画面の右端、左端から彫り始めたのだろう。そのため画面中央は、後に残されてしまったのである。または、この画面中央部分を担当したもう1人の彫刻家がいた可能性もある。レリーフ一画面あたりの大きさを考えると、同時に3人が作業をすることも可能だ、ったように思われるからである。同じことが0.41〔図22〕にも言えるだろう。このレリーフは3つの部分に分割することができる。画面の左部分では、3人の坐っている人物が完成しているが、その台座は未完成である。画面中央部分と左部分との聞には、おそらく柱または壁を表そうとしたと思われる部分が見られる。画面中央には、3人の立っている人物と4人の坐っている人物が表されているが、坐っている人物の方が彫刻の進度が遅れているように見える。また、画面右に未完成の人物が輪郭線で表されている。この部分が、このレリーフの中で最も彫刻が進んで、いない場所である。このように、明らかに彫刻工程はレリーフの場所によって異なっているのである。このレリーフは3つの部分に分割され、それぞれの場所を担当した彫刻家が、それぞれの速度で作業をしていったと考えられるだろう。以上のことから、筆者はおそらく何人かの彫刻家がー画面のレリーフを担当したと考えるのである。0.4と0.41の場合は、垂直方向でいくつかの部分に分割されたのだろう。しかし、レリーフー画面を担当した彫刻家の正確な人数を知ることはできない。ー画面のレリーフを分業で彫刻したというこの考えは、十分な証拠があるわけではな6

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