鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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⑮ 正岡子規の画譜鑑賞研究者:早稲田大学非常勤講師1.序正岡子規(慶応3年<1867>〜明治35年<1902>)が、明治における俳句、短歌の革新、百蕉、蕪村をはじめとする古典の再評価、写生文の創始等に大きな足跡を残したことは周知の事実である。これら評価の定まった文学的営為の一方、絵画の領域でも子規が看過できぬ仕事を為したことを忘れることはできない。とりわけ、その晩年、中村不折、下村為山、浅井忠らとの交友に触発され試みられた写生画は、正則な美術教育を経ないことの技術的危うさを露呈しながらも、専家には求め得ない純真な生命の輝きを放っている。『果物帖』、『草花帖j(国立国会図書館蔵)の二つの画帖は、その代表作として夙に知られている。子規の絵画論については、はやく、寒川鼠骨が随筆類から関連の文章を抜粋、集成した『子規居士絵画観』(日新房昭和23年)があり、本主題の研究に寄与するところ大きい。また、子規の創作活動における画譜の意義を論じた、ジヤン=ジャック・オリガス「写生の味子規と日本美術の伝統意識」(『日本近代美術と西洋明治美術学会国際シンポジウム』明治美術学会編、中央公論美術出版、1992年所収)など、先学による優れた研究も備わる。しかしながら、絵画鑑賞の領野において子規の残した仕事一一それは「言葉」のかたちに結晶している一一の重要性については、文学と美術のあわいにあって、これまで十分に認識されてきたとは言い難いように思われる。本小論では、子規が書き遺した言葉を、彼が眺めた画譜を中心とする作品に即して再読することで、子規が何を、どのように見ていたかという、鑑賞の具体相を再現するための基礎的考察を行いたい。子規の言葉に導かれつつ、子規の眼に私たちの眼を重ね、プライヴェートな鑑賞の追体験を試みることは、受容者側に立った鑑賞史の研究にとって、極めて有為な方法であると考えられる。その成果をもとに、19世紀日本の美術鑑賞史の上で子規の仕事がもっ意義について検討することとしたい。子規の鑑賞を考察するに際して最も重要なことは、彼が実際にどのような作品を眺めていたかを知ることである。それを等閑視して鑑賞研究は成立し得ない。私たちにとって幸いであるのは、子規が枕頭に備え、親しく眺めた作品の大半が散逸することなく、他の旧蔵書とともに「正岡子規文庫J(法政大学図書館蔵)として一括保存され2.子規旧蔵画譜について岡戸敏幸152

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