鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
168/592

四・一一四)(注4)に描かれた情景は、かつての子規自身の旅の記憶を呼び覚まし、「その画がその名所の感じをよく現はして居る」とされる(『病林六尺J二十二)。「かくれみの句集」明治三十四年三月二十七日の条には、「おのが写真に題す我影や広重流の道中画」とあり、自分の旅姿を広重作品に画かれた旅人と重ね合わせて見ているし、二十八日の条、「八犬伝の古蹟を尋ぬる道に雨にあひてJと前書された連作では「米点の画にありさうや蓑の人Jと詠んで、蓑を着け雨中を行く自身の姿を、米点を打ち重ねて描く所謂米法山水の画中人物に擬えている。絵と重ね合わせて現実の自分自身を眺めようとする心性が若き子規に芽生えていたことを示す興味深い言葉である。子規は、絵と現実、それぞれに向き合った時に起こる感覚、実感/仮感をめぐる、西洋の審美学者の説に関心を寄せ、これに疑義を提出している(『病林六尺J七十八)。当時、見世物として人気のあった「パノラマ」を例に、「パノラマといふものは実物と画とを接続せしめるやうに置いたものであるから、これに対して起る所の感じは実感と仮感と両方の混合したものであるが、その実物と画との境界にあるもの即ち実物やら画やら殆とマわからぬ所のものに対して起る所の感じは何といふ感じであらうか。もし画に画いてあるものを実物だと思ふて見たならばその時は画に対して実感が起るといふても善いのであらうか。また実物を画と誤って見た時の感じは何といふ感じであらうか。その時に実物に対して仮感が起ったといふても善いのであらうか」と書く。さらに「われわれが画を見た時の感じは、種々複雑して居って、その中には実物を見た時の実感と、同じゃうな感じも幾らかこもって居る。そのほか彩色または筆力等の上において美と感ずるやうな感じもこもって居る」と論じて、子規の絵画鑑賞の要諦が簡潔に述べられている。子規にとって、絵は拡張されたひとつの現実であったが、それはパノラマのごとき錯視的効果が生むものではなく、より内面的な感情の力が招き寄せるものであった。今を生きる「いのち」と交わりつつ眺められた絵のなかに子規は生きることができた。そこに子規の天分はある。−自娯の鑑賞子規の在世時、今日見るような系統的な日本美術史が確立、普及していたわけではない。岡倉天心による「日本美術史」の講義は、はやく明治23年から25年にかけて東京美術学校で行われている。しかし、この講義に触れることのできた人々はごく限られ、筆記録をもとにこれが活字化されるのは、大正11年の『天心全集』においてである。今日でも優れた通史として評価の高い藤岡作太郎の『近世絵画史』が刊行されるのは明治36年である。子規には、優れた体系的日本美術史が著されることへの渇望が158

元のページ  ../index.html#168

このブックを見る