fo 注(1) 子規が色彩について述べた代表的文章には、「吾幼時の美感」(明治31年)、「赤」(明治32年)が(2) 本研究助成金によってこれまで蒐集した画譜類は以下の通りである。『立斎州筆画譜j初・二編(3) 子規の誤りには、狂歌が削除されていることから不可避的に生れるものと、子規自身の識見の不(4) 子規旧蔵本は、文化6・13年版に施された色版を欠いており、明治期の刊行と考えられる。(5) この書簡は現在、同封された「床の間写生図jとともに扉風に仕立てられている。今治市河野美性は稀薄となり、「いのちjと「絵」が親しく触れ合うようなあり方も失われていった。子規の鑑賞は、近世以前の身体的な鑑賞形態を画譜を媒介として引き継ぎながら、一方では、プライヴェートな作品との交わりを推し進める近代的な鑑賞者の誕生も告げている。それは、19世紀の美術鑑賞史を構築するための礎となり得るものと考えられる。病林における鑑賞世界が小さく限定され、その中心を画譜が占めていたが故に、これまで看過されがちであった子規の「鑑賞Jの再評価に、本小論が些かでも寄与するところがあれば幸いで、ある。今後も、19世紀美術鑑賞史の研究に微力を尽したい。ある。また、赤く色付けされた餅菓子について、「その観の美は人をしてその味の美を増す思ひあらしむ」(『病林六尺』八十一)と述べているのは、子規にとって、「色」が強い身体性を帯びていたことを5昔っている。(嘉永元年、3年)、『南岳文鳳手競薗譜』(明治摺刊行年不詳)、『月樵画譜』上下(大倉書店明治27年)、『公長略画』乾坤(幕末期摺カ刊行年不詳)、『光琳百図J上下(明治摺刊行年不詳)、『竹田函諸J前後(井淳保治編明治12年)、『畢山翁蘭竹画譜』(貫輪吉五郎編明治13年)、『露崖画譜』上下(矢野晋六編明治13年)、『琢華堂函譜j(高畠藍泉著文永堂明治13年)、『吟香閤叢書』(明治前期刊行)、「墨客必賞題画詩』乾坤(小林光国輯明治11年)。備に因るものとがある。同書218〜219頁を参照。術館蔵。
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