手たちにまで及んでいる。(ハ)花鳥まず、明代花鳥画の模本群については、次のように整理されよう。①院体画系(*辺文進)②i折派(*林良)③呉派[陳淳系](陳淳・*陳嘉言)④周之晃系(*周之晃・郁喬枝・*王維烈)このうち、*印の画人に関しては、前々項と同様に、谷文晃による学習の軌跡が確認できる。次に、清代花鳥画の模本群については、次のように整理されよう。①王武系(王武・王巌)②南田派(憧寿平・程応紹・孫桐・周笠・張週香・楊旭・顧詔・林瑞恩・楊激・顧評香)③揚州派[華邑系](華邑・徐岡・朱儒・何榊)④揚州派[李鰐系](李鱒)⑤揚州派[陳撰系](戴礼)⑥揚州派[辺寿民系](辺寿民・醇懐)⑦揚州派系(李育)③金陵派(張榊・胡玉昆・郡横祖)⑨陳淳系(鴇箕・翠大坤・菱漁・陳穆清・目元)⑮鴛湖派(張熊)⑪海上派(任願)⑫単立(翁雑)⑬来舶画人(*沈詮・*高鈎・張辛・梁基・余樫・陳逸舟)このうち、*印の画人に関しては、上と同様で、ある。以上をまとめれば、晴湖の粉本集積傾向は、明代花鳥画に関しては、北山寒巌・渡辺玄対・中山高陽にまで遡り得る、文晃の学画指針に沿ったものであると断ぜられる。一方、清代花鳥画に関しては、文晃の学画対象が来舶画人の作品に限られていたのに比して、晴湖の画房においては、それよりはるかに広汎かっ多様な中国画摂取がなされていたことが判明した。(ニ)雑画まず、墨竹に関しては、晴湖は、古典様式の大成者である①夏起およびその門人②屈約という墨竹の嫡系を見据えつつ、明末の大家③孫杖にも目を配り、来舶画人④張昆の南田系墨竹にも注目するという基本姿勢を文晃から踏襲したうえで、張毘の墨竹を①|軍寿平にまで遡る一方、『墨香居面識』巻ーにおいて画竹が激賞された⑤周頴など、清代の正統派墨竹作家をも視野に入れている。そして、正之元『天下有山堂画芸jから墨竹の部を抜き写している点も見逃せない。次に、墨梅に関しては、文晃の場合と異なり、劉世儒・陸復といった明代の専家は見当たらず、その流れを汲む⑤程松・⑥王元珍や、画梅で一家を成した⑦金農など、すべて清人画家に限られている。利用された梅譜についても、それは『劉雪湖梅譜Jではなく清代の③張有秋『張田叔画梅詩』であり、その点では傾向を同じくしている。ついで墨蘭に関しては、文晃の学画姿勢は判然としないが、晴湖の画房においては、⑨陳達『東橋蘭譜.I.⑬董軒『董軒蘭譜』といった清代の正則的な蘭譜が粉本とされている。さらに、花井雑画に関しては、晴-164-
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