鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(1)藍瑛筆〈怪石図帖〉模本[原本=木村莱直堂旧蔵、模本=個人蔵](1)華曲筆〈黄均薬図〉模本(2) 孫桐筆〈長春花双禽図〉模本当該粉本の原本は、その図様・法量・技法(著色)・画賛「玉環嬬小甚、披得紫震裾、一陣清香至、紛々鳥散余」、款記「昔客蕪城、曽見南田草衣、法徐崇嗣百花園巻、内有紫霞珠張一頼、神采秀発、設色精妙、偶一憶、及訪梯擬之、七十四老人秋穀張宰」がすべて一致することから、泉屋博古館が所蔵する張幸筆〈花井図〉(嘉慶22年/1817)双幅のうちの紫藤図(注8)であることが判明した。なお、これ以外には、以下のごとく原本が新たに確認された。(2)仇英筆〈桃李園図〉模本[原本=知思院蔵、重文]、(3)張瑞図筆〈白衣観音図〉模本[原本=静嘉堂文庫美術館蔵]。(ロ)原本が別の模本によって特定できるもの全10図中のl図を欠くものの、その図様・法量・技法(著色)・画賛・款記印章写しが、天明7年(1787)制作の和泉岸和田藩主阿部侯献上模本(注9)と一致することから、当該粉本の原本は、木村藁震堂旧蔵の「明人藍西湖怪石図」であることが判明した。ただし、この粉本が、こつした模本からの重摸か、あるいは原本からの直摸であるかに関しては、摸者留書は何も記していない。(ハ)原本は現存しないが文字史料によって特定できるもの当該粉本については、現存作品のうちからは、その原本を検索できない(注10)。しかし、『i軟芳閤書画記』には、浅野梅堂が長崎の鉄翁禅師から購求した華昌筆〈黄埼薬図〉が著録されている。清新羅山人華岳、黄埼薬図、紙本横軸、情一尺三寸九分、潤一尺九す九分、東園生邑、匿亙E亙、医亘、生紙上、用没骨法、作折枝、伝色援量、筆鋒透背、意適興到之筆也、観者躍々欲揚管学之、此幅長崎之僧鉄翁蔵、翁不知其為逸品、来京菅之、余一見、欣然買之、可謂天費、(注11)そして、ここに記される法量・款記印章・技法(没骨彩色)・画面描写に関する記述内容は当該粉本と一致することが確認された。また、模写とはいえ、そこから窺える画趣の高さを考慮しでも、当該粉本の原本が、上記の梅堂愛蔵品である可能性は大であるといってよい。激芳閤コレクションは明治維新後に散逸し、大半が未だ現所在不明であるが、その全貌を解明する一助としても、当該粉本の資料的価値は高いといえよつ。当該粉本についても、現存作品のうちからは、その原本を検索できない(注12)。し-166-

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