注(1) 藤懸静也の聞き書き(藤懸静也編『奥原晴湖面集J、巧芸社、1933年、47頁)から判断すれば、晴嵐旧蔵粉本の大半は、晴嵐がH青湖の忠実な助手として、師の利用に供すべく、師に代って制(2) 平井良直「奥原晴湖旧蔵の粉本資料について一古河歴史博物館蔵〈奥原家歴史美術資料〉の紹介かし、『j秋芳閤書画記』には、孫桐筆の花鳥図が複数著録されている。そのうち次掲の一点に注目したい。又(=清孫桐)設色花鳥頼、絹本三尺九寸五分、潤ー尺二す、微雨欲晴還未晴、軟(注13)当該粉本は印章写しこそ欠くものの、法量・画賛・落款・技法(著色)に関しては、上の記述内容と一致することが確認されるのである。したがって、その原本が上記の激芳閤収蔵品である蓋然性は高いといってよい。従来、当該粉本については、原本未詳のまま、これが晴湖の絶筆とされる大正2年(1913)作〈双禽黄蓄積図〉(古河市指定文化財)(注14)の粉本である点のみ注目されてきたが(注15)、今般その原本に関する新知見が追加されたことにより、当該粉本は、激芳閤コレクション清代絵画の晴湖作品への影響関係を示唆するという新たな資料的価値を付与されることになろう。おわりに本資料は、関東南画正系の悼尾を飾る文人画家の生涯にわたる学画状況を知るのみならず、その画房における粉本利用の実態を窺う上でも、きわめて有効である。また、すでに論じてきたように、本資料は、現在は逸失してしまった明清絵画に関して、図様・彩色・法量等、その原容を探る重要な手掛りとなる。さらに、本資料が明治期における明清絵画の舶載・受容の状況に関する豊富なデータにほかならないという点は重要で、ある。以上の点において、本資料は、単に日本近代絵画史研究にとどまらず、中国絵画史研究にとっても、掛替えのない貴重な存在であるということを改めて強調しておきたい。そのためにも、拙著『奥原晴湖粉本資料目録』(注16)の改訂増補作業が今後の重要課題となろう。涼新試袷杉軽、黄菩蔽放三分色、却勝丁香風韻清、輔谷孫桐、医~固唾司、作・集積したものであると考えられる。したがって、晴湖の画房における粉本集積の状況を考察する際には、日青湖・晴嵐両者の旧蔵粉本は不可分のものとして扱うべきであろう。以下、本稿はその前提に立って議論を進める。と考察一」『泉石』5号、古河歴史博物館、2000年、1〜23頁、および平井良直「奥原晴湖旧蔵粉本の一断面王建章筆〈桐城十景図〉模本の紹介と考察」『相模女子大学紀要』(人文・社会-167-
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