2.ケルマーンの建築装飾タイルフのアウトラインを黒彩で描いたものはマシュハド産、それに対してコバルトの濃淡のみで意匠を描いたものをケルマーン産と分類し、その区分がその後の研究者によって踏襲されてきた。しかしその根拠は、発掘による考古学的資料によるものではなく、17世紀後半、イランに滞在したフランス人、タヴェルニエ、またはシャルダンが、ともに優れた問器の生産地として記述していることから、今日現存する多数の陶器の製作地と考えられてきた(注4)。しかし、シャルダンなどは、ベルシャ全土で、陶器の生産が行われていると記述しており、すべての作例の生産地を、上記の2都市のどちらかに帰することはできない。実際、サファヴィ一朝期に製作された陶器には多種多様なタイプを認めることができ、生産地の同定は困難である。それは第一に、窯祉があったと考えられる都市部は未調査のままであり、発掘による考古学的資料の発見がないこと、第二には、陶器の技法、生産地や流通に関する情報を記録した文献史料の不足にも起因している。しかしながら、どの史料も共通してケルマーンが、最も優れた陶器の生産地であると記述しているにも関わらず、域内の最も中心的な建築であるマスジッド・ジャーメ、あるいは他の主要な建築に見られるタイル装飾には一切触れていない。ケルマーンには、今もサファヴィ一朝期に建設、ないし修復された多くの建築が現存しており、その中には、軸下白地藍彩の技法で装飾されたタイルが見られる。ここでは、ケルマーン市内の2箇所の建築、すなわち、マスジッド・ジャーメとマスジッド・エマームの、二つのモスクのタイル装飾に見られる形式的、及び様式的特徴を検証し、陶器における文様と比較考察を行い、製作年代を推定すると共に、それらのタイルが陶器生産地としてのケルマーンとどのように関連づけられるか、という課題を検証する。a.マスジッド・ジャーメ(金曜モスク)の装飾タイルマスジッド・ジャーメは、現存する市内のもっとも重要な歴史的建築として知られ、その建造年代は、750年(1349/50)(西側のイーワーンに銘)とされており、その後幾たびかの改修、補修を重ねて現在に至っている。〔図1マスジッド・ジャーメ、主イーワーン〕ミフラーブには、777年(1375/76)年銘のタイルがあるが、多くのタイルはサファヴィー朝、あるいはカジャール朝期以降に大幅に改修されたと考えられる。しかし、一部のタイルの銘文に年代が記載されていることを除けば(注5)、各部位についてそれぞれの年代を特定することは困難である。184
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