鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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4.結論:「東西複合様式」の発生ものの、その来歴については、不明なままである。所蔵目録には、ペルシア、16世紀あるいは17世紀と記載されている。美術館の記録カードには6片の存在が記載されているものの、本調査において確認できたのは、5片であった。〔図11陶製水盤縁取り、ヴイクトリア・アンド・アルパート美術館蔵、no.1498-1876〕5片のサイズは、長短のほぼ同じサイズのものが2片ずっと、小片3片に分かれている。長さはそれぞれ外側が88.Ocm、87.5cm、4lcm、40.5cm、19.0cmであり、これが本来長方形の水盤を構成していたとするならば、そのうちの一片が欠けていることになる。形態について注目されるのは、三重の高低壁(内側が13.8cm〜14. Ocm、外側が5.8cm〜6. 5cm)の縁取りが設けられていることであり、一片の両縁取りの間のほぼ中央部分に長さ約4.5cmの穴があらかじめ空けられ、二重の壁の聞に落ちた水が排水ないし、再びプールに戻るよう設計されていることである。装飾文様は、下部を除いて全ての面に、青色の濃淡で、鳥獣・魚、・樹木・草花、そして建築物が丹念に描き込まれている。また、二重の壁の聞の水平面には、様式化された蔓草文様が連続して描かれている。〔図12陶製水盤縁取り、部分、ヴィクトリア・アンド・アルパート美術館蔵、no.14981876〕これらの文様、及びその様式は、17世紀後半のケルマーン産に帰せられる陶器のグループと相似しているものである。本作例のごとく、サイズの大きい陶製の噴水盤縁取りは、イスファハーンにおいても類例が見られない。宮殿や邸宅に設けられた水盤は、どれも石材で縁取られている。ハシュト・ベヘーシュト宮殿内の小水盤には、内壁に方形の施柚タイルが張られているが、本作例のように、全て陶製の縁取りがあるものはない。また本作例のような、比較的サイズの小さな水盤は、室内に置かれる場合が多く、二重の縁取りも、水が周りの械琶などに染み出さないように工夫されていると考えれば、やはり規模の大きい、比較的裕福な邸宅用に注文されたことが推測できる。ケルマーンの建築装飾タイル同様、ここでも、陶器に見られるのと同じ素材、技法、及び意匠を用いて、庭園あるいは室内用の噴水盤が製作されたことは、単に陶器製作の技術的スキルの建築装飾への応用という点に止まらず、イスファハーンの宮廷文化と平行して、ある独自の美的志向が生まれ、陶芸による新たな装飾の可能性を模索していたことを示唆している。ケルマーンの下絵付けタイルの類例は、宮廷の置かれたイスファハーンでは全く見られない。17世紀に建造された宮殿は、金彩を加えた極彩色のストゥッコ壁画で装飾189

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