注“inclassable”「不可分類な」様式が、時として、その後新様式を生み出す契機となる。(Frit Ware)に分類される。(3) LANE, Arthur, Later Islamic Pottery, London, 1957, r巴print1971. ( 1) およその配合は、珪石90%、白粘土5%、フリット・ガラス5%であり、「フリット・ウェア」され、より絵画的で、具象的な世界が展開していた。一方で、中国陶磁のコピーから出発した下絵付け陶器は、独自の意匠を生み出しながら、生産の場であったケルマーンにおいて、タイルをはじめとする建築装飾へと白地にブルーのモノトーンの世界を拡げていったのである。その着想は必然的なものであったといえるが、そこにはより大きな東西交易との密接な関わり合いがあった。17世紀初頭の東西交易は、国家聞の交流と捉えるよりも、むしろ、海上・陸路の交易路に沿った地域を、オランダ、アルメニア、イラン、インドなど、多様な民族出身の商人や職人が、お互いを結ぶ有機的なネットワークを形成した。それらの各地域で生まれた芸術は、各地をそれぞれ支配する王朝美術とも密接な結びつきを持ちつつも、ある独自の特色を見せている。その中には、明らかに他文化の直接的な模倣による受容を行う例もあるが、同時に複数の文化的要素が接触し、刺激し合うことによって、突如全く新しい発想を持った、実験的ともいえる作品が生み出される。そこに共通しているのは、多文化要素が融合した、複合的な様式が見られることである。17世紀前半のオランダにおいても、室内をかざるブルー・タイルが流行した。このようなオランダとイランのケルマーンの双方にみる、いわゆるブルーアンドホワイト・タイルの同時的な流行は、偶発的な一致というよりは、中国とイラン、そしてオランダを結ぶネットワーク上で様々な要素が融合して生み出された「東西複合」様式と呼ぶにふさわしい。従来は、中国とヨーロッパ、中国とイラン、あるいはヨーロッパとイランといった、2地域間の相互交流といった観点から、文化の交流・融合が論じられてきたが、実は、それだけでは説明のつかない、より複合的で多面的な特徴をもった作品が生み出されているのである。多くの場合、それらの作品は、マージナルで例外的な造形として、正面から取りあげられることも少なく、王朝の宮廷美術とは一線を画する様式をもっていることから、看過されてきた。しかしながら、この複合的で、暖昧な、ケルマーンの下絵付けタイルは、正にその好例であるといえよう。(2) 最も多くの作例を所蔵するロンドンのヴィクトリア・アンド・アルパート美術館は、約1000点を所蔵する。詳しくはCROWE,Y oland巴,Persiaand Chinα;Safavid Blue and White Ceramics in the Victoria and Albert Museum 1501-1738, La Borie, 2002.
元のページ ../index.html#200