鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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⑩ 敦埠莫高窟惰代法華経変相図の研究研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程下野玲子はじめに敦憧莫高窟では、二仏並坐像を除き、明らかに『法華経』によって造形化された作品は陪代になってはじめて出現する。第420窟伏斗形窟頂四面と第419窟人字坂窟頂西側には警日食品などの法華経変相図、第303窟人字壊窟頂東側には観音菩薩普門品が描かれている。本研究ではこれらの法華経変相図について図様の解釈を行い、その思想的背景を明らかにすることを目指したが、ここでは紙数の都合上、その中から第420窟伏斗形窟頂に描かれた図様の解釈について再検討を行った結果から、若干の私見を述べることにしたい。1 第420窟窟頂北面についての先行研究第420窟は伏斗形窟頂の東西南北の四面に法華経変相図が描かれているとみなされている。いずれの面も細かな場景がほぼ上・中・下の3段にわたって画巻形式に表現されている。このうち、北面〔図l〕には中央に釈迦浬繋図、その向かつて右側に棺を担ぎ上げているところ、棺を茶見に付しているところが描かれている。これらの場景は、浬繋関係の教典の一場面から取られたもので『法華経Jの方便品に説かれる浬繋(衆生を度せんが為に方便によって浬繋を現ず)をあらわした場景であるという説が賀世哲氏によって提示されている(注1)。浬繋の場景には、横たわる釈迦を取り囲む人物群の中、①枕元に腰掛ける女性像、②転倒する力士、③足元付近で火炎に包まれた比丘坐像が認められる〔図2〕が、賀氏の見解に従えばこの三者はそれぞれ①『摩詞摩耶経Jの摩耶夫人、②『仏入浬繋蜜遮金剛力士哀恋経』の力士、③法顕訳『大般浬繋経』巻下の釈尊入滅前に火界三味に入る「須践陀羅J、と解釈できる(注2)。さらに賀氏は、北面の下段中ほど部分と西面の場景3つも曇無識訳『大般浬繋経』巻ーによる場景とみなしている。確かにこれらの場景は『法華経』には該当する文が見当たらず、賀氏が示したように浬繋経典類によって図像化されたと解釈するのが妥当と考えられる。ただし、『法華経J方便品の浬繋をあらわすのに、これだけ数多くの場景を詳細に描いたと考えるにはやや疑問が残る。そこで、窟頂四面の場景のうち、観音菩薩普門品であることが確実と思われる東面と、ほぼ全面が警輸品の三車火宅輸であることが確実と思われる南面を除き、北面と西面の図様について再検討したところ、賀氏の指摘-194-

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