ハ同Uした場景以外にも曇無識訳『大般浬襲経』巻ーに該当するのではないかと考えられる場景を見出すことができた。まず、賀氏によっていくつかの場景の根拠とされた曇無識訳『大般浬繋経』巻一「寿命品第一J(『大正蔵』第12巻、365頁c〜371頁c)の概要をたどってみたい。2 曇無識訳『大般浬繋経』巻ーの概要釈尊は拘戸那園、力士生地の阿利羅蹴提河辺、裟羅双樹間にあり、大比E八十億百千人に前後を囲遣されていた。釈尊は浬繋の時に臨んで、神力をもって大音声を出だし、光を放ち、浬繋に入ることを大衆に知らしめた。諸大弟子である摩詞迦路延ら諸比丘は、その朝日の出の時に仏の光に遇い、「速疾に口を激ぎ、手を操(あら)い」、仏の所に至って合掌恭敬して坐した。つづいて六十億の比丘尼等、一恒河沙の菩薩が仏の所に来至した。つぎに、ご匝河沙の優婆塞が、香を塗り花で飾り上に五色の幡なと手を懸けた香木を、四馬に駕した宝車に乗せ、楽音を響かせながら花を樺げ持って仏の所に至り、宝帳などで飾られた「七宝師子之座」を奉り、沙羅樹に幡蓋を懸けて供養しようとした。つづいて、三恒河沙の優婆夷が、倍の供具を設けて仏の所に至った。つぎに、四恒河沙の毘耶離城の離車等が男女大小妻子春属、及び、閤浮提の諸王の春属とともに、八万四千の大象・掴馬宝車・明月宝珠・天の木栴檀などの香木を従ぇ、宝瞳幡蓋を持って仏の所に来至した。つぎに、五恒河沙の大臣長者が供具を設けて来至し、毘舎離王が後宮の夫人・春属・閤浮提内の諸王と、それぞれ諸の車・兵を象馬に駕し、幡蓋など荘厳の供具と種種の上妙なる甘膳を持って来至、七恒河沙の諸王夫人が香・花・賓瞳・縮綜・幡・蓋・上妙なる飲食を持って来至した。つぎに、八恒河沙の諸天女等が天の香木を取り、白車・白蓋を四白馬に駕し、上妙なる甘膳・伎楽あり、師子座を敷き、宝珠を燈明とし、天花を地に敷きながら来至した。その後、諸龍王、毘沙門王を上首とする諸鬼神王、金麹鳥王、乾闇婆玉、緊那羅王、摩喉羅迦王、阿修羅王、陀那婆玉、羅利王、樹林神玉、時呪玉、貧色鬼魅、天諸淫女、地諸鬼王、諸天子及び諸天王・四天王、四方の風神、大香象王、師子獣王、諸飛鳥王、水牛・牛・羊、諸神仙人、蜂王、諸山神、四大海神及び諸河神が、それぞれ供具を設けてつぎつぎに仏の所に来至した。沙羅双樹林は白く変じ、白鶴のようになる。その時、虚空中に泉池を備えた七宝の堂閣が出現し、沙羅樹林を荘厳するが、皆は仏の浬撲を思い、楽しまなかった。その後さらに、四天王、帝釈天と三十三天、大党天王と党衆、見摩質多阿修羅王、
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