鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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面向きに坐す仏が描かれ、城壁周囲に多数の貴族風人物が立ち並ぶ。これらは、「見舎離王」らの供養とみなしたい。象と馬車は他の場景にも見られるが、象の隊列は象の軍隊を意味し、兵を率いる昆舎離王の表現に相応しいと考えるからである。凶右向きに台座に腰掛ける仏に対し、貴族風人物が花状の物を捧げたり立ち並んだりしている。同右向きに台座に腰掛ける仏の手前が池になっており、池中で腰掛けた比丘が小人に足や背を洗わせている〔図5〕。賀氏はこれを、「菩薩が“身肉手足”を洗浄して布施を行おうとするところjと捉え、『法華経』序品の菩薩の行施のひとつに当てる(注9)。しかし、『法華経J序品には「復見菩薩身肉手足及妻子施求無上道J(『大正蔵』第9巻、3頁a)とあるが、手足を洗浄することは記されていない。私は、大乗浬繋経の諸比正が「速疾に口を激ぎ、手を操(あら)うjに相当する表現ではないかと考える。同城壁に固まれた堂内で仏が右向きに台座に腰掛け、域内の建物に多数の菩薩・比正・貴族風人物が並んで、いる。域外左側には川が流れ、城に向かつて橋が架かつており、貴族風人物の一群が橋を渡って城に向かっている。この場景は、釈尊が「拘戸那国力士生地の阿利羅蹴提河辺、裟羅双樹間jにあったという浬繋経冒頭の部分に当たるのではないだろうか。川が傍らに描かれているのは「阿利羅政提河」をあらわしている可能性がある。以上、西面の図様について曇無識訳『大般浬繋経J巻一寿命品によって解釈を試みてきた。その結果、場景の中に見出せる象と馬は、数から見ればすべてこの巻ーの記述で説明できる。また、画面中段の左右に配された宝帳は、経典に三箇所出てくる師子座にちょうど当てはまる。さらに、場面比定を示さなかった場景(4 X 6 X 7X10X12X2』も、経典のその他の部分「優婆夷」「大臣長者J「諸王夫人」その他の神・王に相当する可能性があるが、図像の人物像の特徴がつかみにくいため、特定はできない。しかしながら、経典の冒頭部分が画面左下の凶で、つぎの「諸比丘」の「噺口操手jが閥、経典の供養の最後の方に出てくる「香象王」と「師子獣王j、「諸飛鳥王」、「水牛・牛・羊」、「諸神仙人」の供養が画面右側に位置しているとみなすことができれば、この西面の場景は大乗浬繋経の巻ーの内容が左から右に向かつて展開している可能性が指摘できるのである。4 窟頂北面の内容と画面構成この画面の左側に位置する北面の図様については、まず浬繋図とその右側の棺を界-199-

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