注( 1) 賀世哲「莫高窟第420窟窟頂部分壁画内容新探J『敦煙研究』1996年第4期、同「敦士皇壁画中的法かれているのではないかと思われるのである。ここでは、第420窟窟頂西面についての図様解釈が中心となり、南面の警輸品や東面の普門品について言及できなかったが、南・東面については法華経の警輸品と普門品に基づくものという従来の一般的な見解に異論はない。また、思想的背景について触れることができなかったが、これらについては今後の課題としたい。華経変」『敦煙研究文集敦煙石窟経変篇』甘粛民族出版社、2000年。(2) 賀世哲主編『敦撞石窟全集7法華経画巻』上海人民出版社、2000年、賀世哲「敦燈壁画中的浬繋経変」『敦燈研究文集敦燈石窟経変篇j甘粛民族出版社、2000年。(3) ただし、賀氏はどの場景かを明示していない。賀世哲「敦煙壁画中的浬繋経変」『敦d崖研究文集敦建石窟経変篇j78頁。(4)前(注3)。(5) 賀世哲主編『敦憧石窟全集7法華経函巻』、23〜24頁。(6) 賀世哲「莫高窟第420窟窟頂部分壁画内容新探」、同「敦燈壁画中的法華経変」『敦燈研究文集敦煙石窟経変篇J134〜135頁。(7) 賀世哲主編『敦憧石窟全集7法華経画巻』、23頁。(8) 賀世哲[莫高窟第420窟窟頂部分壁画内容新探J。(9) 賀世哲主編『敦煙石窟全集7法華経画巻』、26頁解説。同賀世哲「敦燈壁画中的法華経変Jr敦煙研究文集敦燈石窟経変篇』、134頁。白1)賀氏は二仏並坐を見宝塔品に拠る場景とみなすが、ここは普門品とみなす小島登茂子氏の見解が妥当と思われる。小島登茂子「敦爆における陪代・唐代前期の山岳表現一大画面法華経変相図の成立をめぐってj『美学美術史研究論集』11、1993年12月。なお、第420窟法華経変相図については百橋明穂「敦士皇の法華経変j『神戸大学文学部紀要』13、1986年3月も参照した。-201-
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