離はとられず、むしろ「狭さ」が示される。また、竹葉と尾羽を触れんばかりに近接させる構成は、雪の垂れ落ちんばかりの状態やその重量感を示そうとする意図でもあろう。同時に、積雪や雄鶏を前面に押し出し、観者の眼に両者をより近接させ、有無を言わさず絵画平面上の描写対象への正面対視を強制する方向性にある。ここで眼にされるのは、画家によって選択された大小の比率と位置構成によって浮き立たせられた竹のうえの積雪、そして雄鶏の美麗なる文様の集積である。「雪中雄鶏図」の最大の魅力は、前面に押し出された積雪と雄鶏の表現だろう。艶麗と呼ぶにふさわしい表現こそが本図を大きく規定する。このような表現はいかに産み出されたのか。本節では画面により近接し、微視と凝視にふけることから分析を試みょう。積雪によって冬の「景jを表すことは、技法や主題の別を問わず連綿として行われてきた。だが、「雪中雄鶏図Jにおける積雪表現に関しては直接的な先行作例を想定しにくい。その専有面積、かたちの異様さ、ぽっかりと空いた穴、とろりとした質感など、むしろ特異といえる。「ホイップクリーム」、「アメーノリ、「アイスクリーム」、「白い酸」など様々な比輪(注8)が与えられてきた本図の積雪表現はいかにして生まれたのだろうか。本図の積雪表現は二つに大別される。一つは、素地を塗り残して紙の白さによって仮想させるもの。いま一つは、胡粉をふんだんに置き、顔料の白さを代替させるものである。土壌においては素地を残して表し、さらに周縁に胡粉をうっすらと塗る。一方、竹の葉叢や幹、そして菊の枝葉においては、ふんだんに胡粉を盛って表す。また竹の葉叢のうえの胡粉は一様ではなく、盛る量を違えつつ、量かしを用いながら山形のかたちを重ねる。若沖画のトレードマークとも言うべき穴あき表現をも含め、このような積雪のかたちに関して参照すべきは、彰城百川(1697〜1752)が宝暦元年(1751)に制作した旧談山神社慈門院障壁画(奈良・個人蔵)のうち「雪竹図j襖〔図10〕である。先に示した編年が正しければ、若沖「雪中雄鶏図jは百川「雪竹図」に先行する。すでに指摘されるように(注9)、交流の知られていない二人に横の影響関係を仮定するより、両者に共通する手本の存在を想定するほうが有効だろう。おそらく、請来された墨竹3 充填された表現態一積雪と雄鶏一a 積雪表現ーそのかたちと手法一-207-
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