鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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などの雪景表現あるいは舶載版本の挿図などの存在があり、経路を異にして両者に伝わり、それぞれに大幅な変容を加えつつ受け継がれたものと解することが妥当だろう。また、竹の葉叢に載った雪を胡粉を盛って表していく手法に関しては、中世から近世にかけての作例が多く残り、伝土佐光信筆「四季竹図J扉風(ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵)の左隻や、桃山〜江戸初期の作例とされる筆者不詳「四季竹図J扉風〔図11〕(個人蔵)などによっても確認される。さらなる検討は必要だろうが、現時点の判断材料からは、百川「雪竹図」と共通する水墨作品、あるいは舶載版本の挿図などから積雪のかたちを奪い取り、さらにその表現手法を水墨から、胡粉による着色へと転じた結果が若沖「雪中雄鶏図」に顕れていると角草しておこう。b 雄鶏一微細さが構築する美麗さ一積雪とともに「雪中雄鶏図」をあざやかに飾る雄鶏に関し、ふたたび天球院「竹鶏図」の雄鶏を比較に挙げてみたい。姿態や動勢における細かな差異はあるにせよ、やはり「雪中雄鶏図」の雄鶏は天球院「竹鶏図」のそれと類似する。姿態のみではなく、羽毛の一枚一枚を表していく文様の定型を、大小の変化を持たせっつ、輪郭のなかに集積させる手法においても類似を見せている。しかし、文様の定型における輪郭表現の扱い方、そして微細表現と質感表現に対しての執着の度合いなどの決定的な差異も看取される。天球院「竹鶏図」は、羽毛の一枚一枚を明確な塁線で括る。対して「雪中雄鶏図」は輪郭線を表現として目立たせず、むしろ隠すかのような極細線を用いる。ここで輪郭表現を担うのは、色面と色面との臨界が生み出す対比である。この対比の連続は、文様同士のみならず、文様の内部においても駆使される。この色面の対比の連続により、若沖の雄鶏はあざやかな美しさをまとうのである。また、文様の集積は雄鶏の立体感を示すことに大きく寄与する。頚から背にかけての文様は、大小と向きが微妙に徐々なる変化を持たせられて集積され、雄鶏の体のふっくらとした丸みの表現に深く関わる。さらに鶏冠や面相部は、極細線で輪郭がとられ、内部に朱を量かしながらすり込み、そのうえに濃い朱の点描を均質に置く。点描の配置には法則性がもたされ、眼のまわりのぽこつとした膨らみや、ぶつぶつとした質感を描き尽くす。鶏にまさに肉迫する描写からは、鶏を対象とした即物写生が既にかなりの精度を誇ったことを十全に窺いうる。同時に、この細密描写に関しては、当時の南頚画風の流行を想起すべきかもしれない。享保16年(1731)12月に長崎に来航した沈南頚の絵画は、当時の日本の絵画界に多

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