鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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つムに−u2 1 折枝散らし文の定義折枝散らし文とは、花樹草木の折枝を不規則に配置した文様の総称である(注3)。文様を不規則に配置する散らし文の原初的発想、は、正倉院宝物などにも認められるが、平安時代のものはより自由な配置法やより多くの余白を獲得した空間構成、身近な植物によるモチーフ等が特色である等、先学によって指摘されてきた。ここで平安時代の折枝散らし文の諸作例を確認したい(表を参照)。この表より折枝散らし文の作例が、後期の院政期を中心とした約100年に限られた時期に制作されたものであることが分かる。こうした状況下で、基準作である三十六人家集と文様発生の時期とをつなぐ位置にあると考えられるのが、施福寺所蔵の法華経(以下、施福寺経と略称す)と佐太神社所蔵の彩絵檎扇である。この施福寺経と佐太神社本檎扇については近年に基礎的考察を終えており、11世紀末に遡りうる作例であることを確認した。一方、三十六人家集から下り、12世紀末の作例とを中継する位置にあるのが、1164年の願文を伴う平家納経である。以下では、これらの作例を中心に、約100年にわたる連続的な文様の変遷と機能の問題とを探る。2 2 文様の様式的変遺折枝の形態は、大きく分けて次の部位により形成されている。茎(枝)や蔓・葉・花である。ひとつの折枝は、一本の茎から花・葉を付けた節(結節)を生み、さらにその節を起点に新しい茎を伸ばしていくことで、順次枝先に向かつて展開する。施福寺経〔図1〕と三十六人家集〔図2〕のものは、節から新たに複数の茎を伸ばし、枝分かれを繰り返しながら茎や葉をそれぞれに翻転させる。その姿は、風に弄ばれ虚空に漂うさまを思わせる。施福寺経とほぼ同時期の作である佐太神社本檎扇の折枝も、同様に枝又が多い〔図3〕。相対的に、施福寺本の方がより枝振りに粘りがあり、一本一本の枝が長く伸びている。平家納経においては、屈曲しながら複数の枚(茎)を展開させる初期・隆盛期からの形態を受け継ぐものと、そうした要素を放棄し新たに写実的な形態やデフォルメを押しすすめた形態を確立したものとの2グループが存在する。隆盛期の特徴を継承するものは〔信解品・法師品図4〕、概して節の展開数が少く、茎や葉の屈曲が小さく、枝振りに硬化が窺われる。また写実的形態のものは節から伸びる茎が単数であり、連なった一本の茎・枝が大きな孤を描くような形態をとる〔勧持品・分別功徳品図5〕。その姿は、大地から生えて風にしなるさまを思わせ、おなじ平家納経の景物画中2 文様の様式的変遷と機能

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