υつω口同注(2)①橋村愛子「平家納経における絵画的手法を用いた料紙装飾の意匠一一折校散らし文と浮遊(4) 佐野氏前掲論文(注3①)。(5)橋村愛子「施福寺所蔵法華経妙音菩薩品についての基礎的考察j『(和泉市史紀要六)槙尾山施福(7) 日高氏前掲論文(注3R)。( 1)橋村愛子「平家納経における伝統と革新一一折枝散らし文と四季の問題を中心に一一J(東海印(3) 折枝散らし文に関連する主な参考文献を掲げる。(6)稲本万里子「佐太神社の槍扇について扇の意味と機能J『東京芸術大学美術学部紀要』三十、四季を暗示した複数の枝折による文様構成は、やがて呪術的要素が吉祥性へと読みかえられたことを示すものと考えられる。下って12世紀後半期の枝折散らし文は、再びひとつの種類や季節に限定した文様構成をとるが、造形効果を追求することに主眼が置かれ、花のみを重視した文様形態を特徴とする。花偏重の形態は、もはや折枝のもつ吉祥性が装飾理由に対してほとんど意味をなさないことを示すかのようだ。しかし、なぜ平家納経において提婆品の料紙装飾のみが全紙で四季を構成するのかなど、今回解明できなかった枝折散らし文の諸相については、今後の研究課題としたい。従来この文様は、モチーフの類似により西方起原の「昨鳥文」と同源であるとされてきた。ここで前述のような枝折の特質を鑑みるなら、鳥によって任意に運ばれる幸いの表徴と言うよりも、むしろ人と自然とが交流し親和して生み出される聖性のシンボルだと位置づけることができょう。度学仏教学会第48回学術大会2002年6月於東海女子大学)する唐草」『東海仏教』第42号、2003年3月。②橋村愛子「佐太神社所蔵の彩絵槍扇と扇箱についての考察j『美学美術史論集(名古屋大学美学美術史研究室紀要)』第20号、2003年3月。① 岡田謙「檎扇丸紋蒔絵手箱一散し文の系譜一」『東洋漆芸史の研究』中央公論美術出版社、昭和五十三年。②京都国立博物館『(展覧会図録)花鳥の美一絵画と意匠−.I昭和五十七年十月。③佐野みどり「工芸意匠としての草花」『(いけばな美術全集十)美術と草花j集英社、昭和五十七年。④江上綬『装飾経(『日本の美術J二百七十八号).J至文堂、平成元年七月。⑤ 中野政樹「密教法具と経塚美術一平安の仏教工芸」『(日本美術全集七)受茶羅と来迎図一平安の絵画・工芸Ij講談社、平成三年。⑥ 日高薫「落花と折枝一蒔絵意匠に見る「散る花」の図像J『花の系譜Jぺりかん社、平成九年。寺の歴史的総合調査研究』和泉市教育委員会、平成十三年三月。平成七年三月。稲本氏は、常緑の松の意匠を冬の季節と考える可能性を示す。例えば「雪積みて木も分かず咲く花なれや常磐の松も見えぬ成けり」(『山家集』一三六一)。
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