鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(8) 岡田氏前掲論文(注3−①)。※ここで用いた文献のうち、歌合関係は『平安朝歌合大成』、私家集は角川本『国歌大観J、その他は岩波本『日本古典文学大系』より引用しました。(イ)天徳四年(960)三月三十日内裏歌合「右方入自北方献和歌洲浜。沈押物花足、浅香下机、繍花柳鳥花文綾覆、標締地敷、…・・・左方経侍所前自南方献和歌洲浜。紫檀押物花足、蘇芳下机、繍葦手花文綾覆、紫締地敷」『十巻本天徳四年内裏歌合・殿上日記』「鼻洲浜立地敷。訓Ii兵之為体、沈入金筋、浅香下机入銀筋。是覆花口綾青末濃加柳折枝繍文。・…・・洲浜之様大体同右。紫檀机、蘇芳下机同色村濃覆有国手弁藤花繍文」『二十巻本天徳四年内裏歌合・殿上日記』(ロ)天禄四年(963)七月七日円融院扇合(乱碁歌合負態)「七月七日、宮、うへの御局にのぼらせ給ひて御まけわざをせさせ給ふものども、(中略)かはほり十いれたり、さまどもいとをかし、ひとへはこがねのほね、くちばの花ひとかさねくさのかたをぬひて、それをまたかなにかける」『円融院扇合』(ハ)治安三年(1023)四月一日禎子内親王裳着「かくて渡らせ給て、御しつらひを御覧ずれば、藤の末j農の織物の御凡帳に、折枝を繍ひたり。」『栄花物語』巻第19「御裳ぎ」(ニ)長元八年(1035)五月十六日高陽院水閤歌合(関白左大臣頼通歌合)「地敷。三重社若色浮線綾、以象眼為裏、重其上縫葦手、其裏以銀鍍文」『長元八年関白左大臣頼通歌合』「打敷以浮線綾染紫、所々縫花枝、以象眼浮青色、所々施銀丸文」『左経記J同日条「蔵人俊経二藍のうつくしき取りてひろげ敷くを見れば、紫の浮線綾に青き象眼をつけて、伊勢の海という催馬楽を葦手に縫ひたり」『栄花物語』巻第32「歌合」(ホ)長元九年(1036)十二月十三日章子内親王裳着「御帳などは、殿より奉らせ給へり。葡萄染の二重織物、単は打ちたる白き文を据ゑたり。紐は紅梅、青きに梅の折枝を繍物にもし、織りにも織りたり。いとおどろしうめでたし」『栄花物語』巻第34「暮まつほし」(へ)永承四年(1049)十一月九日内裏歌合「菊の織物冶御凡帳ども押し出で渡して、おはします程こそ出さね、少しさしのきて、よき程に押し出でたる衣の裾、袖口、いと目も驚きて見ゆ。菊の折枝・葛の紅葉・鏡の水など押したるが、薄物より透きたる。打自に耀き合ひたる火影、いみじうおかし」『栄花物語』巻第36「根合はせ」(ト)永承五年(1050)三月十五日法成寺内新堂供養「御輿の後にはやがて三位候ひ給。皆紅の打ちたる、棲の織物、表著に、その折枝織りたる藤の織物、楼萌黄の唐衣、皆二重にて、折枝けざやかに織りたり」『栄花物語J巻第36「根合はせj(チ)永承五年(1050)四月二十六日麗景殿女御延子歌合「打敷程麦の浮線綾に、卯花を縫ひたり」『麗景殿女御歌合』(リ)天喜四年(1056)四月三十日皇后寛子春秋歌合折桔史料220

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